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Showing posts from April, 2026

【ひとり寿司】第17章

→ 作品ページにもどる 第17章 「レックス。申し訳ない。数週間前に売り切れたんだよ」 気落ちした、一瞬だけ。「ロジャーさん、同窓会で持ってるブロックがよくありますよね。二枚だけ譲っていただけないでしょうか?」 「そうだねえ」ロジャーの声がゆっくりになった。「可能性はあるかもな」 やっぱり。「広告料を少し割引できるかもしれません」 「いや、広告は、もうあまり必要じゃないんだ」 (何だ)「ホームページにプレミアム・ストーリー、っていうのはどうですか? UWのことで強調したいのはどんなことですか?」 「野球チームは調子がいいんだが、席が埋まらないんだ」 「ホームページにストーリーを載せるのはどうでしょう」彼を引き寄せた。 「次の試合にスカウトが来てくれてもいいんだけどね」 分かった! 彼が探っていたのはこれだった。「SPZはスカウトにコネがありますよ」実際、今日は、ウェブサイトに載せられたばかりの高校チームのスタッツのことで、一〇人のスカウトから電話がかかってきた。 「レックス、チケットのことは、ちょっと他の人と話をさせてくれるかな。また電話するよ」 「ありがとうございます、ロジャーさん」電話を切った。有力者が取引を成立させたとき、またはストックブローカーがウォールストリートで成功したときの快感を、今では理解することができた。 レックスはウォーターボトルに手を伸ばした。空っぽだ。 音が鳴らない電話をチラリと見た。ロジャーからコールバックがある前に、水を補充する時間がある。ナルゲンボトルのフタを閉め、通路を通って冷水機の方へ向かった。 キュービクルに座っているグレイの長い足が通路に突き出しているので、それをよけた。サンノゼ州立大学の野球チームのことで、何か深刻なことを電話で話しているようだ。ブラウンのキュービクルからは、彼の声が流れてくる——多分、彼も電話中——ブラウンの足が通路に突き出るのが見えた時には——遅すぎた。 つまずきながら、腕が激しく揺れた。(パシッ!)ウォーターボトルが何か硬いものにあたった気がした。 「ウップ!」 手を突き出したが、薄い仕切りはダンのキュービクルに倒れた。(ゴン!)仕切りがダンの頭に当たる音がした。 「あうっ!」 レックスと仕切りが倒れた。仕切りがダンの...

【ひとり寿司】第16章

→ 作品ページにもどる 第16章 エイデンは身体中が痛かったが、なぜか気分はとても良かった。 ジルとのペッパー練習(対人レシーブ)。力強く、いいフォームで動けている気がした。この夜は、もっと自信を持ってレシーブ、セット、アタックができた。土曜日にスタンフォードのバレーボールキャンプにも通っているし、今夜はこれまで以上に日系リーグを心待ちにしていた。 「レックスは?」彼女のことだからとしても、ちょっと遅い。 ジルはボールをレシーブしないで取った。「電話があったわ。残業だそうよ。今日は来ない」 ほんの一秒前と比べて、腕は力強く感じなかった。その場で少しジョギングしてみたが、エネルギーは戻ってこなかった。 (レックスは単なる仲間の一人。そんなに気にするのはやめよう——) 実際、気にしていなかった。全くと言っていいほど。彼女のことはほとんど知らなかった。コートの中にいたりいなかったりする、ただの可愛い女の子だ。それだけ。エイデンは、可愛い女の子に目を留めただけだった。 (こんばん遅くに来るかなあ?) アタックラインではとても調子が良かった。彼のアタックはもっと正確で、手とボールの間のコンタクトもずっとよく、回復基調を超えるほどいいコントロールだ。それに気づいている人は、他に誰もいなかった。 (レックスだったら気がついたのにな) そうだ、しかしレックスだったら、打ち損なったアタックも全て気がついただろう。 (彼女のことを考えるのをやめるんだ。名前も思い浮かべてはダメだ) 試合が始まった。エイデンは、最初のパスをそらせた。 エイデンは常に冷静だった——他の選手のように罵声を浴びせることもしない——しかし、自分の顔が、欠けた大理石のように硬くなっているように感じた。 できるはずだ。 「ああ見て、レックスよ」キャロルは、まだ仕事着で、ハイヒールの音を立ててコートの後ろを歩く姿を指さした。 「みんな元気?」レックスは手を振って、観客席に腰を下ろした。 「出ないの?」ジルは睨んでいる審判を無視して、彼女の方を向いた。 「うん、出ない」落胆の表情の中で、口が歪んだ。「うちに服と靴を置いてきちゃった。帰ってたら時間がなくなるわ」 「早く!」審判が、しびれを切らして笛を吹いた。 (そうだよ、早くしよう、み...

【ひとり寿司】第15章

→ 作品ページにもどる 第15章 出勤初日。(失敗しませんように) レックスはもう一度、SPZのロビーに入ることになった。今回は、受付デスクに元気な二○代ぐらいの子が座っていた。「アレクシス・坂井です」 受付嬢は名前を入力した。「さ・か・い、ですか?」 レックスは瞬きした。「ええ」 いわくありげな微笑みが返ってきた。「私、四分の一、日本人なんです」受付嬢はスクリーンを眺め、受話器を取った。「デイビスさん、坂井さんがロビーでお待ちです」相手の話を聞き、そして受話器を置いた。「デイビスさんはこれから会議があるそうなので、終わったら会いに来られるそうです。代わりにグレイ・マイヤーズさんが来ます」レックスの名札を印刷した。「これは、セキュリティバッジができるまでの仮のバッジです」 「いくらお給料もらってるんですか?」(やってしまった)なんと軽いレックスの口。「ごめんなさい——」 受付嬢の顔は、礼儀正しく無表情になったが、茶目っ気たっぷりにきらめいた。「会社の受付としてはいい方ですよ。その辺のエンジニアぐらいと同じぐらいの給料を要求しましたから」 レックスは弱々しく笑ったが、膝が震え始めた。ラッセルは、彼女のどこが気に入ったのだろうか? リエゾンとして、自分はどんな資格があるのだろう? 受付デスクの端を強く握り、その硬い表面に指を食い込ませようとすると、指先の痛みが心地よい。 「アレクシスさん?」背が高く痩せた若い男性が、受付デスクの角を周ってきた。トイレ用クリーナーを買おうとしているかのように、その淡い目は、平然と彼女を査定している。 「レックスです」(気持ち悪い)濡れたティッシュの束を握りしめるような握手だった。 「グレイです。君と同じチーム」 最高。一人目の同僚は、すでに(逃げろ! 逃げろ!)という雰囲気を醸し出している。 グレイは、半分下がったまぶたの下からいたずらそうな目つきで見た。「で、同窓会リエゾンの経験はあるの?」 (何これ、また面接?)思っていることが口から飛び出す前に、あごを堅く引き締めた。受付嬢を見ると、こっそりあきれた表情をしている。それを見たら勇気が出た。「ラッセルさんが、私の経歴のいいところを見て、いい仕事ができると思われたみたいです」そうそう、親切でそつがない言い方だ。 グレイ...

【ひとり寿司】第14章

→ 作品ページにもどる 第14章 「もっと低く!」レックスは手を叩いて、女子中学生にドリル(反復練習)のペースを上げさせた。 さっさとコンドミニアムを探さなくては。どこか安いところを。 「もっと!」中途半端にかがんでいる中二の女子を指さした。その子は膝を曲げ、さらに深く腰をかがめて、次のコーンへとダッシュした。 急がなきゃ。父の家はすぐに売れるだろう。しかしこの住宅難の中、たった二、三週間で予算に合ったコンドミニアムを見つけることが出来るのだろうか? 「ちょっと、後ろの子たちのために、ずれてあげて!」レックスは、最後のコーンで息を切らして立っている女の子に合図した。その子がずれると、次の子がコーンに向かってかがんでダッシュ、そして立つ。まだ呼吸が荒い。 自分からSPZでの仕事を蹴った今、もっと頑張ってエンジニアの仕事を探さなくては。今朝のクレイグズ・リストの求人情報は、励みにならなかった。 「ジャンプするときは膝曲げて!」レックスはドリルのラインに入り、ブロックに入る前の深いスクワットをやって見せた。そして、かがんで、次のコーンへダッシュ。「のろま!」レックスは立って、また手を叩いた。 すでに無職で、もうすぐホームレス。ボーイフレンドどころか、チームのスポンサーを探す時間などあるのだろうか? 「今日は結構タフなんじゃない?」アシスタントコーチのヴィンスが体を寄せてきて、女の子達に聞こえないように低くささやいた。 近すぎるので、レックスは少し離れたが、彼の言葉を受け入れてため息をついた。そうだ、自分の不満をチームに投影させているのかもしれない。力を抜かなくては—— それは、レックスが見ているときに起こった。それを阻止しようと動くと、筋肉を走る脈を感じた。一番手のヒッターであるキャシーがブロックの動きへと飛び上がるのと同時に、別の女子がキャシーのいるコーンに向かってダッシュしてきた。キャシーは着地し、その足はもう一方の女子のスニーカーの上でふらついた。不快な「バリッ、ポン」という音が、小さいジムの中で響いた。 その音を聞いて、ハンマーで打たれたような吐き気が、レックスの内臓を襲った。そのために、キャシーの方へ急ごうとする歩みが遅くなった。見たくなかった。足首が変な角度にねじれていたらどうしよう? 出血していたら……?...

【ひとり寿司】第13章

→ 作品ページにもどる 第13章 レックスはペッパースプレーをポケットに入れた。ブラスナックル(金属製の拳当て)をバッグに忍ばせることも考えたが、警備員にダメと言われるかもしれない。 心配する必要はないはずだ。トリッシュの車の隣に駐車したが、彼女はそこにいなかった。レックスはクラブのドアから中へ入った。警備員はいない。 脈動するダンス音楽が内臓に響く一方、異様なライトがウインクしているような暗闇の中で、サングラスをかけてクリスマスツリーを見ているような気がした。 どうすればトリッシュを見つけることができるだろう? 電話をかけたが、答えがない——マナーモードにしていなければ、それも納得できる。それに、トリッシュが携帯をマナーモードにすることなどなかった。行きたくないが、バーの中に入ることは避けられない。 大学時代に行ったあの社交パーティのように、何故トリッシュは酔っ払ってしまったのだろうか? ここにいる多くの人たちも、ひどく酔っ払っているようだった。金髪が笑いながらぶつかってきた。「ウープス、ごめんね」 (臭っ)サワーマティーニの息がする。 レックスは、他の人に触れたくなかったので、なかなか前に進めない。人の合間を縫い、身をかがめ、飛び跳ね、横に歩き、後戻りした。 一時間後、ダンスフロアを二周し、バーを三回探し、スチレット・ヒールで足の甲を踏まれ、パンツにビールをこぼされた。トリッシュが思い出して携帯を見たなら、不在着信件数は十五件あるだろう。 レックスはバーに向かった。もう一周したら帰ろう。さわられたり、飲み物が入ったグラスを持つ腕にぶつかって、飲み物をこぼされないよう注意しながら、ダンスフロアの入り口の近くにいる大勢の人混みの中を少しずつ進んだ。 彼女の肩に、重い手が下りた。 レックスの体は一瞬にして鉄のようにこわばった。護身術教室が心をよぎった。「はいやーっ!」後ろに下がり、その手をつかみ、振り返って、同時に掌が上になるようひねった。 「イタ、タ、タ、タ——レックス! 俺、俺!」 「リチャード! あんた、何でそんなバカな——」 「離せ、離せ——ああっ」リチャードは手首を上下に振った。「呼んだのに、聞こえなかったのか」 「そうなんだ」レックスは、恥ずかしく思うだけの礼儀をわきまえている。 ...

【ひとり寿司】第12章

→ 作品ページにもどる 第12章 レックスの頭はグルグル回り始めた。トリッシュがいるはずの生物学研究室のあたりを行ったり来たりしていると、各研究室から化学物質がにおってくる。トリッシュの上司にばったり出くわさなければ、レックスは彼女を探すため、まだ研究室の周りを徘徊していただろう。 バイオ技術研究ビルに続く日当たりの良い通路を歩いたが、暖かな日を楽しむ気分ではなかった。トリッシュは、またしばらく教会に来ていない。考えてみれば、もう数週間、彼女と話していなかった。いつもはもっとよくおしゃべりするのに。何かあったのだろうか? レックスは、エスビルのロビーに続くガラスのドアを開け、その場で立ち止まった。「ここで何やってるの?」 エイデンは振り向くと、鳥インフルエンザウィルスの感染者に会ったかのように、後ずさりした。「や、やあ」 レックスは、誰もいない受付デスクのカウンターをのぞき込んだ。「ブザー鳴らした?」 「五分前にね」彼はもう一度ブザーを叩いた。「これで満足?」 「満足」 「君こそ、ここで何してるんだよ?」エイデンは純粋に知りたがっているように見えた。 「トリッシュを探してるの」 一瞬、エイデンの顔に警戒心が光ったが、その後、あのお米のように味気ない表情になった。「トリッシュって、ここで働いてるの?」 エイデンは自分の表情をコントロールすることができる。彼を怒らせたらどうなるのだろうか、とレックスは思った。 「このビルにはいないわよ。あれっ、また会いたくなったとか?」レックスはニヤニヤ笑った。 彼の眉毛がピクピクした——その穏やかな仮面にできた割れ目のように。「どうも君たち二人から逃げられないようだね」 「何それ」レックスはショックを受けているふりをした。「ストーカーはあなたでしょ」 「君は、僕の後でこのドアを通ってきたんだよ。僕を一人にしてくれないのは君の方なんじゃない?」 彼は彼女をからかっていた。レックスは笑った。もしかしたら、最初に思ったほどつまらない人ではないのかもしれない。 受付嬢が、研究室からロビーに入る磁気で施錠されたドアをカチッと開けた。「ご面会ですか?」 「トリッシュ・坂井さんをお願いします」 「スペンサー・ウォングさんをお願いします」 受付嬢はトリッシュとスペンサ...

【ひとり寿司】第11章

→ 作品ページにもどる 第11章 哀れなほど短い面接だった。彼らは、企業で受付嬢としての経験がないのに受付の職に応募したレックスは完璧な能なしであることを確認するような質問を二つか三つ尋ねた後、彼女がドアを出るときには、そのドアが背中に当たりそうなスピードで、彼女をドアの外に追い出した。 彼らが立ち上がって手も握らず、挨拶もしなかったことは、唯一の救いだった。だから、右手で問題なくできそうな握手を、わざわざ左手でする必要もなかった。ロビーに出ると、反対側に女性用トイレがすぐに見つかった。開いたままになっているドアの前に、(床の清掃中)とスペイン語で書かれた黄色いサインがあった。 中をのぞくと、無愛想に見えるヒスパニック系の清掃業者の男性が見えた。「ちょっと手だけ洗わせてもらえますか?」 「ダメダメ、危ないよ(スペイン語で)」 「手を洗うだけなんですけど」 「ノー、滑るよ(スペイン語で)」 「お願いですから使わせてください」 「オーマイゴッド! サインを見れば分かるだろ! (スペイン語で)」 ダメということだろう。男性用トイレに向かうと、ちょうど誰かが出てくるところで、別の男性が中にいるのが目に入った。ダメだ、こっそり入って洗面台を使うことはできない。 トイレから反対側の壁に、大きいソファが二つ並んでいる。レックスはそこまで歩いて、座り込んだ。 「待って!」男性の声がどこからともなく聞こえた。 (——グシャッ) ふわふわで心地よい椅子——特に、モダンで活気のある色の布張り——グシャッ、となるはずではなかった。皮膚の温度より冷たいものがスカートの中にしみこんできた。 レックスは肘掛けを手で押して体を持ち上げた。手のひらがベタベタだったのを思い出したが、もう遅い。布張りの毛玉が、ネバネバする手のひらの残留物にくっついた。 スカートがお尻にくっつき、不快でぬれた感じがした。 ポロシャツとスラックス姿の四○代ぐらいの男性が近づいてきた。「大丈夫? ついさっき、清掃業者が椅子のクッションのしみ抜きをしているのを見たんだよね」 トイレよりここの方が産業用クリーナーのにおいが強いことに、レックスはやっと気づいた。振り向いてクッションを見ると、サイケデリックな色調。レックスはとたんに頭痛がしてきた。「水の跡...

【ひとり寿司】第10章

→ 作品ページにもどる 第10章 火曜日の朝——ガラスのドアを開けた途端、レックスは心臓が胸から胃のあたりまでドサッと落ちる気がした。目の前にある会議室は、立っている同僚でぎゅうぎゅう詰めになっている。 時計を見ると朝九時十五分。昨日は、夜十一時近くまで残って働いた——エベレットは、七時に退社する前に、彼女の様子を見に来た——だから、全員参加の会議があることについてメールも電話もなかったことは、どう考えても明らかだ。 こっそり部屋の隅に入ろうとしたが、反対側に座っているエベレットが陰険な目つきで彼女を見ていた。開いたドアのそばに立つと、隣にいるジェリーが大げさにふらつき、女の腕にぶつかった。レックスは一歩横にずれた。 アドミの不機嫌な声は、うなずくみんなの頭上を通り越していった。「……ということで、余分な仕事が全て私に回ってきていますので、今後はこのフォームの写しを提出してもらいます——」彼女は一枚の白い用紙を振った。「——三枚綴りです。締め切りは一週間前まで、ギリギリに提出されても受け付けません」 「お客様の分でもダメなんですか?」アンナが懐疑的な声で発言した。 アドミのゴルゴンの頬が、くすんだオレンジ色になった。「お客様の場合は——」 「全てお客様のためなんですけど。ドライクリーニングを取りに行ってくれ、って頼んでるわけじゃないわ」 レックスは、せせら笑いを抑えようとして、思わず鼻水を飛ばしそうになった。アドミはエベレットに一目惚れしていたので、まさに彼と同じことをする。 ゴルゴンは主導権を取り戻そうと、ベラベラしゃべった。 レックスはうわの空だった。今日はすることが沢山ある。この無意味な会議に座って——いや、彼女の場合は立って——いるということは、今日もまた残業になることを意味していた。 会議はやっと終わり、レックスは自分のデスクへと急いだ。 案の定、メールは届いていた。送信時間は今朝の八時半。九時の「大事な会議」に参加が必須だという。 「レックス、話がある」エベレットが近寄ってきて、カンカンになっている。「僕のオフィスで」 圧迫感がシューッと蒸気をたてて、お腹の中で大きくなってくる。まさか。エベレットはレックスが昨晩、遅くまで働いていたのを知っているのだから、今朝十五分遅刻したことなど問題にしないは...

【ひとり寿司】第9章

→ 作品ページにもどる 第9章 リチャードは死んだも同然。彼の死は、百パーセント確実だ。 レックスは鍵を鍵穴に押し込み、家の中へ入った。何か大きな音を立てて壊したい衝動に駆られたが、父親が眠っていた。 「おかえり、レックス」 「あれ、お父さん? まだ起きてた?」レックスはドアを閉め、バッグをソファの上に落とした。 父は、リクライニングチェアの中で上半身を起こそうと、もがいている。「デートはどうだった?」 レックスは、スタイロフォームの持ち帰りボックスをにらんだ。「残りをテイクアウトしてきた」他に言えることは何もなかった。 父はため息をついた。「いい男かもしれないと期待してたんだが」 レックスはキッチンへ行く途中で固まった。彼女がイン・シンクに夢中だった時でも、父は、彼女の恋愛に関心を持つことはなかった。「どうしてよ?」 父は腕を下に降ろしたまま肩をすくめ、上下させた。 それは、父が何かを隠している時にするしぐさだった。 「どうして突然興味を持ち出したのよ、お父さん?」レックスは、彼がその質問を避けられないよう、鋼鉄のように重々しい声で尋ねた。 父は横目でレックスを見た。レックスは腕を組んでいる。 「もう寝るよ」リクライニングチェアから起き上がった。 レックスは戸口から廊下へと滑るように動き、自分の体で父をさえぎった。唇を固く閉じ、にらんでいる。 いつも上手くいくわけではないが、その夜は成功した。そこに立っている父は、落胆しているように見えた。「おばあちゃんから電話があったよ」 レックスは目を閉じ、ドアに頭をぶつけたい衝動に駆られた。「何のことで?」 「お前がデートに出かける回数が少ないって、文句を言ってた。努力が足りないとさ」父はレックスの顔を見ようともしない。 「他には?」 父は長い間、答えなかった。レックスは、父が、自分に言いたくないどんなことを祖母から聞かされたのだろうかと思った。とうとう父はため息をついた。「ちょっと努力して、いい男の子と付き合えないものかな? おばあちゃんを喜ばせると思って」 刀でお腹を突き刺されたように、その言葉が刺さった。一瞬、胃が引きつった。レックスは軽く息を吸った。 これまで、父が彼女に何かを頼んだことはなかった。一度も。いつも自分のやりたい...