【ひとり寿司】第9章

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第9章


リチャードは死んだも同然。彼の死は、百パーセント確実だ。

レックスは鍵を鍵穴に押し込み、家の中へ入った。何か大きな音を立てて壊したい衝動に駆られたが、父親が眠っていた。

「おかえり、レックス」

「あれ、お父さん? まだ起きてた?」レックスはドアを閉め、バッグをソファの上に落とした。

父は、リクライニングチェアの中で上半身を起こそうと、もがいている。「デートはどうだった?」

レックスは、スタイロフォームの持ち帰りボックスをにらんだ。「残りをテイクアウトしてきた」他に言えることは何もなかった。

父はため息をついた。「いい男かもしれないと期待してたんだが」

レックスはキッチンへ行く途中で固まった。彼女がイン・シンクに夢中だった時でも、父は、彼女の恋愛に関心を持つことはなかった。「どうしてよ?」

父は腕を下に降ろしたまま肩をすくめ、上下させた。

それは、父が何かを隠している時にするしぐさだった。

「どうして突然興味を持ち出したのよ、お父さん?」レックスは、彼がその質問を避けられないよう、鋼鉄のように重々しい声で尋ねた。

父は横目でレックスを見た。レックスは腕を組んでいる。

「もう寝るよ」リクライニングチェアから起き上がった。

レックスは戸口から廊下へと滑るように動き、自分の体で父をさえぎった。唇を固く閉じ、にらんでいる。

いつも上手くいくわけではないが、その夜は成功した。そこに立っている父は、落胆しているように見えた。「おばあちゃんから電話があったよ」

レックスは目を閉じ、ドアに頭をぶつけたい衝動に駆られた。「何のことで?」

「お前がデートに出かける回数が少ないって、文句を言ってた。努力が足りないとさ」父はレックスの顔を見ようともしない。

「他には?」

父は長い間、答えなかった。レックスは、父が、自分に言いたくないどんなことを祖母から聞かされたのだろうかと思った。とうとう父はため息をついた。「ちょっと努力して、いい男の子と付き合えないものかな? おばあちゃんを喜ばせると思って」

刀でお腹を突き刺されたように、その言葉が刺さった。一瞬、胃が引きつった。レックスは軽く息を吸った。

これまで、父が彼女に何かを頼んだことはなかった。一度も。いつも自分のやりたいようにさせてくれた。リチャードに対し自分の立場を堅持することを許し、大学でも好きなことを選ばせてくれた。

まるで、ひざまずく戦士のようだ。

「分かってるわ、お父さん。誰か見つける」のどの中は苦しいが、その口調は強く、確信を持っているように聞こえた。

父は昔に戻ったように笑った。足を引きずって寝室へ向かう父のため、レックスは脇へよけた。

「ああ、レックス」その声は、狭い廊下を渡ってこだました。「トモヨシさんから電話があったよ。君に謝っておいて欲しいということだったが、どうも女子チームのスポンサーになれないそうだ」

(ええっ?)レックスは振り向いて父を見つめた。聞き間違えただろうか? 「だめだって言ったの?」

父はうなずいた。「どうしてあの人に頼んだんだ? おばあちゃんはサポートしてくれないのか?」

「ええっとね……」レックスの心は混乱した。「マリコの結婚式の後で、そうなる可能性があるの。だから念のため他の人にも聞いておこうと思って」大変だ! 祖母がこのことを知ったら? 「だけど、何も言わないでね、お父さん、お願い。おばあちゃん、本当にサポートする気がないのか分からないから、私が他のスポンサーを探してるって知ったら、気を悪くするかもしれないでしょ」

父はうなずいて、あくびをしながら廊下の向こう側へ戻っていった。

やれやれ、これでいい。祖母に知られたらどうなるかなど、考えたくもなかった。

**********


遅れなければ、ロビンと話をすることができたのに……はいはい、いつものことだ。

グラスバレーボールのダブルスの試合は終わった。レックスは、ナルゲンボトル(プラスチックの容器)から水をがぶ飲みし、ロビンを探そうと周りを見た。さっきはいたのに……

「いい試合だったね、レックス」ダブルスのパートナーだったキンムンは、自分のウォーターボトルをレックスのボトルに合わせて乾杯し、顔を流れる汗を拭いた。

「あなたもね」このトーナメントへの出場は数週間前に決まっていたのだが、もう少しでデートをすることになるはずだった、あの出来事の後だったので、レックスは気まずくなるのではないかと心配していた。完全に打ちのめされた彼女の感情——それほどドラマチックなものでもないか——は、火鉢に水をかけるように、素早くきれいさっぱり消滅したのだが、キンムンがどう感じているのかは分からなかった。

が、神経細胞を無駄にする必要はなかったようだ。どうしてそうなったのかは分からないが、キンムンは何もなかったように振る舞うことに決めたようで、二人はいつものように滑らかなプレイをすることができた。競い合い、リラックスした、プラトニックな関係へと、信じられないほど簡単に戻ったようだ。それは良いことだと、レックスは思うことにした。キンムンはダブルスのパートナーとして最高の人なのだから。

「お前、調子いいね」キンムンがニヤッとした。

そうだ、寒くなったにもかかわらず、調子がいいので暑く感じる。バッグからタオルを探り、ナイアガラの滝のように額から落ちてくる汗を拭こうとした。「ロビンを見なかった?」

「さっき受付で会ったけど」

「遅れたから、始まる前に話せなかったの。どこにいるかなあ?」

キンムンは、数センチ高い身長を利用して、トーナメントが行われているグラウンドを見回した。「一番向こうのコートの近くだ、ジルと話してる」

レックスは、向こうのコートまで歩いていった。ロビンは、バレーボールをするほとんどの人と知り合いだ——だから、女子チームのスポンサーになってくれる人を探すには、誰にアプローチするべきかを知っているはずだ。レックスは、ロビンが一人で息抜きをしている時であれば、お金という繊細な話題をうまく持ちかけることができるだろうと期待していた。

ロビンは、レックスを見ると笑って手を振ったが、ジルとの会話をやめなかった。このグラスバレーボールを主催している日系バレーボールリーグのことを話しているようだ。レックスは片足に重心を移し、二人の会話が終わるのを待とうとした。

「レックス!」

その時、一番気に食わない人が近づいてきた。スタイリッシュなジーンズと、筋肉質に見えるようなデザイナーブランドのシャツのせいか、Tシャツを着た群衆の中でひと際目立っている。このパークのど真ん中でリチャードを投げ倒す——そのために十分な怒りと体力があると、レックスは思った。怒鳴りつけようと口を開いた時、生きた盾——ルックスはまあまあで、リチャードと同じぐらいの歳、そして、おそらく独身の男性を連れてきていることに気がついた。リチャードは父と話したのだろうか? 彼は、自分の面目が丸潰れだということに気がついているのか?

レックスはサディスティックな笑みを浮かべた。「リチャード、私が大好きなかわい~い、お兄ちゃん」

リチャードは固まり、それでも手を振った。「俺、何かした?」

「能無しのジョージよ」

リチャードは品よくたじろいだ。「バカなことはするな、って言っといたんだけどな」

「つまり、口を開けるとか?」

リチャードの笑顔が、苦痛を帯びてきた。「あのさ……レックス、友達のエイデンを紹介しようと思って来たんだ」後ろにいる平凡な男を身振りで指した。

エイデンは、その明るい目でレックスの顔をじっと見て、手を差し出した。「やあ」

レックスは、短くしっかりとした握手を返したが、震えが腕を伝い、足まで降りて来た。神経質になっているのに違いない。「こんにちは」

リチャードの別の友人に礼儀正しく振舞う心構えは、まだできていなかった。ロビンの方をチラッと見ると——まだジルと話しこんでいる。

「リチャード!」純情ぶった女の子らしい声に彼が振り向くと、その魅惑的な笑顔が光った。

「やあ、ダーリン」リチャードは去っていった。

(ダメ、ダメ、ダメ! この人と二人にしないで——!)

レックスはかすかな微笑みをエイデンに向けようとした。彼はとても退屈な人のように見えた。身体的な魅力もない——「エペソ」のリストと照らし合わせれば、すでに一点減点だ。しかし彼は、レックスの目をまっすぐに見た——リチャードと父が決してしないことだ。「それで、エイデンって、何をやってる人?」

「理学療法士。南サンノゼのゴールデンクリーク理学療法クリニックで働いてる」

「ああ」レックスは身震いを抑えた。負傷と関係している全てのことに恐怖を覚えるのはなぜだろうか? リストに入れることがもう一つ:(私が平常心を失わずに言える仕事を持っていること)

沈黙。

レックスはロビンをじっと見た。彼女がジルとの会話を終わらせて、レックスと話しに来てくれるように。二人の深刻な表情を見ると、何か重要なことなのかもしれない。

眼差しをエイデンに戻した。「私はペア・テクノロジーの製造エンジニアよ」

エイデンはうなずいた。「リチャードから聞いたよ」

「どうやってリチャードと知り合いに?」こういうことは聞いておいた方がいい。リチャードは、野球のカードを集めるように友達を集めていた。

「彼の友達が僕の患者なんだ。先週、会ったばかりだよ」

「へえ」リチャードは、別に親しい友人でもないのに二人を引き合わせようとした、ということか。まあいい、早速リストと見比べることにしよう。「何かスポーツはする?」

「走るよ。今はマラソンに出るためにトレーニング中」楽しんでやっていることについて話す時でさえ、エイデンは中途半端に微笑む以外、その穏やかな表情を変えない。

やれやれ、なんてつまらない人だろう。

レックスはため息をついた。ロビンはまだジルと話している。レックスはもう礼儀正しくする気分ではなかった。「私は走るのは嫌い。トレーニングだと思って走るけどね」

エイデンは瞬きした。「そうなんだ」

レックスは、さらに突っ込んだ。「バレーボールはする?」

「いいや、でもしてみようかと思ってる」

エイデンはデート相手の候補から消そう。尊敬できるどころか——真剣にバレーボールをしたことがない人とデートなど——「レッスンを受ければいいわ。正しいフォームとスキルを教えてもらえるから」

「ああ……そうだね」クレイジーないとこの機嫌でも取るかのように、レックスを見た。

レックスは気にしなかった。だが、この話題は気に入らない。「フォームが悪い人とプレイするのは嫌いなの」

「へえ……そうなんだ」

「コートの中は危険なの。ニアミスのアクシデントをたくさん見てきたわ……」レックスは話すのをやめるべき——ただ怒鳴り散らしているだけだ。「あの……お会いできてよかったわ」レックスはロビンの横に立って、自分が話したがっていることを彼女に知らせようと思った。

「君はとてもトリッシュに似てるね——」言うつもりではなかったかのように、文の終わり方がぎこちなかった。

逃げようとしている途中でレックスは立ち止まった。「私のいとこよ」

「うん、リチャードに聞いた」

「どうしてトリッシュを?」

「ジムでね」彼の目が左にそれた。

「本当に似てると思う?」レックスは、その答えが聞きたくなかった。トリッシュは陽気な性格、ブラのサイズもまあまあ、お尻も曲線的だった。トリッシュは、ファイトナイト・ラスベガスに出るような男性を魅了することができた。

「そっくりだ」

エイデンは、レックスの顔を分析していたようだ。何て変わった人。「嘘よ、トリッシュの方が可愛いわ」

彼は頭を横に振った——賢い。「君たちって……同じ教会へ行ってるの?」

それは、レックスが気まずく感じるような言い方だった。「ええ、サンタクララ・アジア教会よ」でも考えてみると、先週の日曜日はトリッシュを見なかった。

エイデンは瞬きし、ガラスのシャッターが目の前に下りるように、心を閉ざしたように見えた。平凡で礼儀正しい笑顔だったが、一センチも動いていないのに、突然、遠くへ行ってしまったように思えた。「ああ、それはいいね」

「あなたは教会へ——」やっとロビンがジルと話し終わり、受付のテーブルまで歩いていくのが見えた。「ごめんなさい、エイデン。ちょっとロビンと話さないといけないの。じゃあ、また」レックスは、バレーボール選手の間を通り抜けていくロビンの姿を追った。

「レックス!」リチャードが前に立った。

レックスが横にズレようとすると、彼も一緒に動いた。非難の矛先を向けるように、彼の目と目の間に指を突き立てた。「一体なんだって言うのよ、偉そうに!」

リチャードは、目をくり抜かれる前に、後ろに飛び跳ねた。「あの……エイデンのこと、嫌いだった?」

「共通点がないの。あなた、∗ラヴ・コネクションの聴き過ぎなんじゃない?」

リチャードはたじろいた。「ジョージの埋め合わせをしたくてさ。悪かったと思ってるんだから」

レックスはロビンを探した。群衆の中に明るく黄色いTシャツが見えた気がした。威嚇するような目つきで、さっとリチャードの方を向いた。「私の恋愛生活に立ち入らないで」

「エイデン、トリッシュを知ってる、って言ってただろ?」

「うん、それが何なの?」

「トリッシュが肩のセラピーがあるって言ってたこと、覚えてる?」

「それって、あの職場での怪我? エイデンが彼女のセラピストなの?」

「最初はね。途中で別のクリニックに変えたんだ」

「それが私とどんな関係があるって言うの?」

レックスはリチャードの餌に引っかかった。

「トリッシュが、エイデンをそそのかしたんだけど、あいつは興味がなかったんだ。だから、トリッシュを別のセラピストに転院させたってわけ。それでトリッシュが不可知論者のエイデンに腹を立てて、ことを大げさにしたんだ。彼がクリスチャンじゃないから付き合わない、ってね」

(最高、トリッシュ。これだからクリスチャンの女の子はバカだって思われるのよ)レックスは、無神論者の兄に食ってかかった。「私もエイデンのことを見下すかどうか確かめるために彼を紹介したってこと? バカじゃない」レックスは確かに彼を見下したかもしれないが、それは、ロビンと話したかったからであって、彼がクリスチャンじゃないからではない。「彼と宗教のことは話してないし、関係ないわ」またリチャードの顔の前に指を突き出した。「もう一回言うわよ——私の恋愛生活に立ち入らないで。お兄ちゃんの友達とは、絶対付き合わない。どうせ、お兄ちゃんと同じような人ばかりでしょ」

リチャードが腕を広げて笑った。「俺のどこが悪いって言うんだよ。こんなにチャーミングなのに」

レックスはブツブツ言いながら、拳でリチャードの肩を叩いた。「続きはまた後にして」ロビンを追ってダッシュした。

**********


「行くぞ」エイデンは、スポーツブラをした可愛いバレーボール選手をナンパしているスペンサーを急かした。

スペンサーは、名残惜しそうに下着同然の女の子とお別れし、駐車場までエイデンを追った。「もう行くのか? トーナメント、最後まで見るんだと思ってたよ」

「体育系がお前のタイプとはね、知らなかったよ」エイデンはボタンを押して、SUVのアラームを解除した。

「そうだけど」スペンサーがニヤリとした。「向こうから近づいてきたんだぜ」

この社交的な友人は、野良犬がソーセージのトラックに群がるように、女の子を引きつけた。「まあ、今日は十分バレーボールを見たけどね」

スペンサーは助手席側のドアを開けた。「それで、俺のいうことを聞いて、やってみるのか? バレーボール」

エイデンはためらった。

「何だよ」スペンサーは乗り込んで、シートベルトを締めた。「バレーボールで怪我をする患者をよく看るんだろ? 自分でもやってみたら、怪我のこともよく分かるようになるだろうから、一石二鳥じゃないか」

エイデンが窓越しに公園の方を見ると、黄色いシャツを着た背の低いアジア系の女の子と話しているレックスが目に留まった。レックスの方がトリッシュより細身で、上品に見える。声も低く、積極的に発言する。

「お前があの子に話しかけてるのを見たぞ」スペンサーは、からかうように言った。

「俺って、自虐的かな」

「何だよ、それ?」

答えがなかった。何もしない方がいい。リチャードが不注意に、芝生のバレーボールコートにいる妹を指さしたときも、放っておけばよかった。

「誰だよ?」

「あのトリッシュって子、覚えてるだろ?」

「お前に気があった、あの子か?」

「そのいとこだよ」

スペンサーは、目を凝らして、もう一度レックスをじっと見た。「彼女って、トリッシュに似てない?」

「クリスチャンだよ」決定的だ。そう、レックスに対する彼の興味は、正式になくなった。

スペンサーはため息をついたが、宗教についての話をまた持ち出すことはしなかった。

少し遅れて、エイデンは遠回しに侮辱していたことに気がついた。「悪気はないんだけどさ」

スペンサーは、意味ありげに片眉を上げた。「気にしてないよ」

エンジンをかけた。レックスに会ったのは、いいことだったのだろうか。彼女はトリッシュにそっくりだった。トリッシュよりずっと魅力的だということを除けば。そして彼は、反対方向に走り出すべきだろう。

だが、バレーボールのコートでプレイしている彼女は美しかった……

レックスは無愛想で、失礼に近いところもあった。彼女が自分ほど惹きつけられていないことに気がついたとき、エイデンが感じていた彼女の魅力は激減した。

駐車場から出ようとした途端、クラクションが鳴った。エイデンはブレーキを踏んだ。大きいフォードのエクスプローラが轟音を立てて過ぎていった。

参った。あの子に殺されるのではないかと考えていたところだった。


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