【ひとり寿司】第15章

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第15章


出勤初日。(失敗しませんように)

レックスはもう一度、SPZのロビーに入ることになった。今回は、受付デスクに元気な二○代ぐらいの子が座っていた。「アレクシス・坂井です」

受付嬢は名前を入力した。「さ・か・い、ですか?」

レックスは瞬きした。「ええ」

いわくありげな微笑みが返ってきた。「私、四分の一、日本人なんです」受付嬢はスクリーンを眺め、受話器を取った。「デイビスさん、坂井さんがロビーでお待ちです」相手の話を聞き、そして受話器を置いた。「デイビスさんはこれから会議があるそうなので、終わったら会いに来られるそうです。代わりにグレイ・マイヤーズさんが来ます」レックスの名札を印刷した。「これは、セキュリティバッジができるまでの仮のバッジです」

「いくらお給料もらってるんですか?」(やってしまった)なんと軽いレックスの口。「ごめんなさい——」

受付嬢の顔は、礼儀正しく無表情になったが、茶目っ気たっぷりにきらめいた。「会社の受付としてはいい方ですよ。その辺のエンジニアぐらいと同じぐらいの給料を要求しましたから」

レックスは弱々しく笑ったが、膝が震え始めた。ラッセルは、彼女のどこが気に入ったのだろうか? リエゾンとして、自分はどんな資格があるのだろう? 受付デスクの端を強く握り、その硬い表面に指を食い込ませようとすると、指先の痛みが心地よい。

「アレクシスさん?」背が高く痩せた若い男性が、受付デスクの角を周ってきた。トイレ用クリーナーを買おうとしているかのように、その淡い目は、平然と彼女を査定している。

「レックスです」(気持ち悪い)濡れたティッシュの束を握りしめるような握手だった。

「グレイです。君と同じチーム」

最高。一人目の同僚は、すでに(逃げろ! 逃げろ!)という雰囲気を醸し出している。

グレイは、半分下がったまぶたの下からいたずらそうな目つきで見た。「で、同窓会リエゾンの経験はあるの?」

(何これ、また面接?)思っていることが口から飛び出す前に、あごを堅く引き締めた。受付嬢を見ると、こっそりあきれた表情をしている。それを見たら勇気が出た。「ラッセルさんが、私の経歴のいいところを見て、いい仕事ができると思われたみたいです」そうそう、親切でそつがない言い方だ。

グレイはデスクの後ろの階段へと案内した。「ちょっと興味があっただけ」

(興味? 信じられない)

一緒に階段を昇った。「前任の同窓会リエゾンは、ジュディ・バロニー。産休あけに辞めたんだ」

「それは残念でしたね」

グレイは肩をすくめた。「別に」

レックスは階段でつまずいた。彼はバカにするような目で見た。

「その方のこと、好きじゃなかったんですか?」神様はこれをゴシップだと考えるだろうか? だが、ジュディの犯した失敗を知っておかなきゃ。それを繰り返さないためにも。

グレイはまた肩をすくめた。「見かけが魅力的だっただけ」

「今、何て?」グレイが明らかに気配りをしないため、レックスの気配りも崩れ去った。

「ジュディはスポーツのことをあまり知らなかったから、同窓会の連中も彼女にあまり敬意を表さなかったんだよね」一瞬見せた厳しい表情は、消えた。そして、注意深く、面白味のない目でレックスを見た。「社内で数人の男性社員が、競ってこのポジションへの移動を希望したんだ」

(なるほど)だが、レックスはジュディ・バロニーではない。「ラッセルさんは、確かに正しい人を採用したみたいですね」

グレイの目つきが固まった。「タイ・アンダーズが言ってたよ。ラッセルが君を採用したのが信じられない、ってね」

タイ? クラブで会った、あのミスター・ハンズ? 「変ですね。タイさんとは面接してないし、履歴書も渡してませんけど。彼の採用基準は、ダンスが上手かどうかってことですか?」レックスはグレイに対し、歯をむき出しにした。もう少しで、うなり声を上げて吠えるところだった。

驚いて一瞬目が大きくなったが、グレイが考えていることは、あの、けだるそうに半分閉じた目の中に、また隠された。肩をすくめた。

レックスは不快な気持ちになった。即刻クビになるぐらいだったら、ペアにいた方が良かったな。

二人は、キュービクルが押し込まれた大きい部屋に入った。たくさんの男性の声。ウォールストリートのトレーダーが出てくるような映画を思い出した。もちろん、全員が電話中ではなかったが——。

「レックス、こっちがダンとブラウン」彼女が見えた時、その白人と黒人の男性は会話を中断した。レックスは、思惑に満ちた眼差しで床に釘付けにされた気がした。

鉄の棒で脊椎を叩きつけられた気がし、レックスは鋭い眼差しを返した。

「チームへようこそ」ダンの声は、脅しを紡ぐ糸のようだ。

「仕事は沢山あるよ」ブラウンの厳しい目は、筋肉質に見えるスーツの上でピクピク動いた。その細い手で、小さいあごをかいた。

レックスは腕を組んだ。「忙しい仕事には慣れてますから」(気をつけた方がいいわよ、偉そうに。腕相撲でもしましょうか)

ブラウンは、ガリガリの上腕を曲げた。

レックスは、指の関節をボキボキ鳴らした。

グレイが、テストステロンとエストロゲンの決闘を中断した。「君のオフィスはこっちだ」

(オフィスがもらえるの?)ブラウンを牽制中のレックスは、まだ歯ぎしりしていたので、それを口にして、無知をむき出しにしなかった。ここの男性社員らは、彼女の男性のいとこ達に似ている。十分パンチを交わして、彼らの弱点を突く方法は分かっていた。

「ここが君のオフィス」あら? グレイの声は、なぜもっと少し怒っているように聞こえないのだろう。

オフィス? と言うか、クローゼットのようだ。ウォークイン・クローゼットではない。ジュディは慌ただしく辞めていったようだ——書類は床に散乱し、カーペットの上には、植木鉢が置かれていた跡の丸い形の周りに泥と紫色の花びらが散らばっていて、マニキュアの除光液のにおいもかすかに漂っている。キラキラした花のシール、塗られた蝶の絵、切り取ったハートの形が、金属製のファイルキャビネットに飾られている。爪やすりと、半分開いた、よく使われていたように見えるアイシャドウ用コンパクトが、デスクの脚の横に落ちている。

デスクの上には、ピンク色の伝言メモが束になっている。上の方のメモの日付がレックスの目に入った——今日だ。

これってみんな——? メモの束をめくってみた。全部、今日のメモだ。日曜日のも二枚ある。

彼女がこの紙切れを吟味しているのを見たグレイは、愛想よく微笑んだ。彼女の表情から、動揺が鳴り響いていたのだろうか?

「引き出しの中に先週のメモも入ってるから、よろしく」

グレイがドアから出ていくと、レックスの「オフィスの」床面積は二倍になった。デスクの後ろの狭いスペースに何とか入り、柔らかい椅子に倒れ込んだ。

小さいピンク色の伝言メモは、彼女に向かってクスクス笑っているようだった。

デスクの上に肘を置き、顔を手の中にうずめた。一体、何をすれば良いのだろうか。どうやらジュディは可愛く女性らしかったようだ——レックスが履けないようなスチレット・ヒールを履いていたのだろう。

誰かがドアを強くノックした。今度はどんな雄鶏がいばり散らしにきたのか? 「どうぞ」

あの親切な受付嬢に会って以来、初めて親しみ深く微笑んで入ってきたのは、ラッセル・デイビスだった。「ごめん、ごめん、会議があってね」

「大丈夫です」レックスは立ち上がった。

「いやいや、狭くて立てないだろう」部屋の中に入ってからでないとドアが閉められないほど狭く、ラッセルは、それでも中に入ってドアを閉め、彼女のデスクの端にちょこんと座った。なぜか、近距離にいる彼は彼女に圧迫感を与えなかった。

ついでに聞きたかったことを聞いてみよう。「ラッセルさん、どうして私を採用したんですか?」

彼は笑った。「驚いた?」

人事の女性からの電話を思い返した。それに、あのパーフェクトなタイミング。「確かにそうとも言えますね」

彼は、裏の駐車場を窓からじっと見た。「君が自分で証明したんだよ、あの時。このポジションのために僕が必要としている条件全てに当てはまってることをね」

「もう一つ、これは、正確にはどんなポジションなんですか?」

笑った目にシワがよった。「そうだった、まだ知らないんだったね。同窓会リエゾンっていうのは、大学の同窓会専用の受付みたいなものなんだ。君は、彼らとSPZの間の仲介役ってことになる。情報、スケジューリング、広報宣伝、ニュースなんかのね。君が彼らの質問に答えて、答えを探して、情報を転送して、提案事項を実施する。同窓会は、SPZの代表者としての君とだけ付き合うんだ」

「一体そんなこと、どうすれば私にできるんですか? 言わせていただきますが、私は製造エンジニアなんですよ」

「前任のリエゾンは、ね——」

「分かってます、もう全て聞きました」

彼は鋭い表情で、カーペットの上の泥の模様を観察した。「ジュディは同窓会に好意的に受け入れてもらえなかったから、彼女も同窓会の代表者たちに共感できなかった。君はそれができる」

「どうして分かるんですか?」

彼が微笑むと、顔のシワが深くなった。「君は大学のスポーツのことをよく知ってる、有名なものだけじゃなくてね」

あの時の会話まで、記憶のページをめくってみた。「もしかしたら、私が知ってるのはレスリングとバスケと野球だけかもしれませんよ」

「確かにそうかもしれない。だけど君だったら、必要があれば他のスポーツのことも覚えようとするに違いないと思ったんだ」

レックスは頭を傾けた。「もちろんそうです」閉じられたドアに向かってうなずき、それからまっすぐ彼を見た。「この仕事をしたい男性はたくさんいるじゃないですか」

彼はニヤリとした。「君のものだよ」

「ラッセルさん、冗談じゃないですよ」

「同窓会っていうのは、概して女性の担当者を好む、ってことを彼らは分かってない。だけど、前任者のようなリエゾンは要らないんだ」

レックスは、ファイルキャビネットの上の不快なシール、蝶、ハートをチラッと見た。「ジュディみたいじゃないことは、保証します」

「知ってるよ。君はこの仕事に向いてる。それに、楽しんでもらえると思うよ」彼は彼女のデスクから降り、一歩下がってドアを押し開けた。

三人の男性が、うずくまった姿勢から飛び上がった。

ラッセルは睨みつけた。

彼らは固まった。

「君たちは仕事がないのか?」火山アイスクリームを噴火させることができそうな、声の調子だった。

彼らは散り散りに逃げていった。

ラッセルは彼女の方に振り向いて、ピンク色のメモの束にうなずいた。「今日は、その人たちに電話を返してもらえるかな。自己紹介も兼ねて。政権交代があったことを、同窓会の担当者たちに知らせるんだ」

「分かりました」

「何か分からないことがあれば——」

「さっきの社員の誰かをいじめます」

ラッセルはニヤッとして、レックスのオフィスから出て行った。

レックスはコンピュータを起動させた。IT部門の人が、すでにユーザをリセットしてくれたようだ。ログインのスクリーンには「ASakai」と出てきた。パスワードは? 「ASakai」とタイプしてみた。

大当たり。

そうそう。いい会社かどうかは、そこのIT部門を見れば分かる。

すでにメールが来ていた。ウェンディ・トラン——人事部の若い娘の名前だ!——は、人事部で二時にオリエンテーションの予定を入れていた。ということは、今日の電話を返す仕事は午前中に終わらせなくてはならない。

レックスは一枚目のメモを取った。アリゾナ州立。マーク・バーンズ。

深呼吸。ラッセルは何と言ってたっけ? 彼らは、ジュディを好意的に受け入れていなかった。しかし、ジュディはどんなことをしたのか? 何と言ったのか? レックスが同じようなことをして、このマークという男性を遠ざけてしまったら、どうすればいいのか? 初日に失敗するかもしれない。ボロ負けだ。

もう一度、深呼吸。ちょっと考えてみよう。ラッセルはジュディについて、スポーツをよく知らなかった、とほのめかしていた。もちろんレックスだって、アメリカ中の大学のありとあらゆるスポーツのプログラムを知っているわけではない。この前のトーナメントで「アリゾナ大学」が勝利した時に、「アリゾナ州立大学」の素晴らしいゴルフチームを褒めたたえたら、どうなっただろう? SPZの評判は損なわれ、会社は倒産するかもしれない。

もう一度、深呼吸。ナイキのスローガンのように、Just do it(やるしかない)。(自己紹介をするだけよ。もし失敗してクビになったとしても、先週の金曜日より悪い状態になることはないんだから)

番号を押した。

「アリゾナ州立同窓会、マークです」

「こんにちは、マークさん。SPZのレックス・坂井といいます」

「誰だって?」

「レックス・坂井です。新任の同窓会リエゾンです」

「ジュディを辞めさせた、ってこと?」

「いいえ、妊娠するために辞めました」おっと、ちょっと違うな。「つまり、一身上の都合で退職されました」

マークは、「厄介払いか」というように聞こえることをつぶやいた。

レックスは咳払いした。「今日お電話したのは——」

「ジュディに残した伝言、聞いてくれた? うちが主催する新しいPAC10のバレーボール・トーナメントのウェブ広告のことなんだけど」

「すごい! バレーボールのトーナメントを主催されるんですか?」金切り声より少し低い声が出てしまった。「と言うか、楽しみですね」運がいい——大学バレーボールの関係者と付き合えるなんて。

「今年はアリゾナ、ワシントン、バークレーを招待したんだ」

「アリゾナ州立とワシントンの試合はすごくいいと思いますよ。新しいコーチが強いチーム作りをしてますから」

「そうそう、だけど赤シャツ選手だった一年生を入れたばかりなんだ。一九八センチのアウトサイドヒッター」

「名前は?」

「ロレイン・リー」

「中国系ですか?」

「ハーフだ。母親がスイス人」

「その選手を見るのを楽しみにしています」

「そうだね」一瞬の沈黙は、気まずいというより思慮深い沈黙に思えた。「君、野球は分かる?」

レックスは頭を拷問にかけた。アリゾナ州立の野球の試合を少し見たことがあったのを思い出した。「今年はどうですか?」

「不安定だ」

「キャプテンが卒業しましたからね。去年、彼は素晴らしかったです」

「そうなんだ。彼はエルマーズグルーみたいにチームを一つにしてくれた。新しいキャプテンはデイブ・ギャレットだ」

「ああ、覚えてます。彼も悪くないですね。二、三ヶ月もすれば、慣れてくると思いますよ」

「僕もそう思うよ。さてと、電話をくれてありがとう、レックス。フェニックスに来ることがあったら、連絡するといい。その週末にある試合のチケットを取ってあげるから。フットボールでもいいよ」

(すごい!)「マークさん、ありがとうございます。それじゃあ、バレーボール・トーナメントの広告のことで必要な情報をメールしてもらえますか? すぐに取りかかりますから」一体何をすればいいのか見当もつかなかったが、向こうのキュービクルで嫉妬しているバカどもと対戦できそうなほどいい気分だった。「アドレスはA-S-A-K-A-I @ SPZ.comです」

「ありがとう、レックス」(カチャッ)

「やった!」レックスは勝利の拳でガッツポーズを取った。

(ピン)あ、メールが来た。サイト全体のニュースだった。「SPZスポンサーシップ・プログラム」えっ? クリックしてみた。

突然、開いた戸口にふらりと頭が見えた。グレイがのぞき込んでいる。だがその目は、ソフトボールのように大きくなり、ソフトボールの色をしていた。「すげっ」

「何が?」

「君、スポーツが分かってるな」

「当たり前でしょ。だからラッセルに採用されたのよ」視線をメールに戻した。(秋の四半期から、SPZは——を提供)

「いや違う、本当にスポーツのことが分かってる、っていう意味」

レックスは、コンピュータの画面から視線を引っ張り戻した。「何よ——Y染色体がなきゃスポーツは理解できない、って思ってるの? 考え直すべきね、あなた」メッセージに戻った。(SPZは、三つの地元の青少年クラブチームを全面支援——)

「いや、僕はただ——」

「このメールが読みたいんだけど!?」

グレイは煙のように消えた。最高、怒りっぽくて感情的という評判を築いてしまったかもしれない。

メールニュースに戻った。これはもしかしたら完璧かもしれない。SPZがレックスの女子チームのスポンサーになってくれたら、九月から支援が始まる。

プレイオフの後。

祖母は、マリコの結婚式がある六月まで資金を出してくれるはずだ。何とか祖母をだまして、プレイオフが終わるまでお金を出してもらえたら、八月以降、ボーイフレンドをキープしておく必要はない。あとはSPZからお金が入ってくる。

これよりいいことがあるだろうか? 自分の新しい仕事に感動した。新たなスポンサーの可能性。それに、九割が男性社員という職場——この中に一人ぐらいは、クリスチャンで、彼女の仕事を欲しがらず、「エペソ」のリスト(それほど長いリストではないのだから)に合う男性がいるはずだ。

レックスは決心を固めた。八月まで付き合う男性を見つければよいだけ。祖母にあっと言わせて、夏の終わりまでお金を出してもらえたら申し分ない。テストステロンを帯びたスポーツ狂の大集団を利用してなくては(さっき怯えて逃げていったやつなんて、ちょうどいいんじゃないだろうか)。

そうだ、このスポンサープログラムの申込書を記入しなくてはならない。デスクの上を探した。

ジュディが、ペンを全て持ち帰ってしまっていた。


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