【オンリー・ウニ】第18章

『オンリー・ウニ』

寿司シリーズの第二作
著者:キャミー・タング
日本語訳:西島美幸
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第18章

 中へ入るなり、においに悩まされた。尿、嘔吐物、アップルソース、漂白剤が混じっている。漂白剤に安心させられた。

 老人臭。それ以外の何ものでもない。

 いや、それは不親切だ。自分はひねくれているのだろうか? もっといい人に変えられていくはずではなかったか? 実際神様に好かれるような人に?

 かつタワーで教会アウトリーチプログラムのディレクターをしているクリスティーナの案内で、トリッシュはフロントデスクで受付を済ませ、三階の娯楽室へと階段を昇った。

「こんにちは、アンバーリーさん」クリスティーナは、車椅子に座って空中をじっと見つめている男性に明るく微笑んだ。あるいは、廊下のずっと端の方を見ているのだろうか。

 トリッシュは、声の届かないところに来るまで何も言わなかった。「あの人、聞こえてますか?」

「それって問題?」

 確かに、問題じゃない。

 大きな窓の広々とした部屋に入った。数人の老人が何かアクティビティをしている。本を読んだり、ボードゲームやトランプをしたりしている人もいれば、おばあちゃんたちはテレビの周りに集まっている。

「皆さんに挨拶してきてくれる? 返事がなくても気にしないで。「リーさん、こんにちは」クリスティーナは振り向いて、窓の近くでお絵描きをしている男性に話しかけた。

 トリッシュはテレビの近くにいるグループの方へ歩いていった。何を見てるんだろう。英語じゃなかった。日本語のようにも聞こえるが、そうじゃない。集まっている白髪頭の間からのぞいてみた。

 ブラウン管の中では、ゴージャスな若いアジア系の女性が同じぐらいハンサムな若いアジア系の男性をひっぱたいていた。

 観客――生きている――は歓声を上げ、ゲラゲラ笑った。

 若い女性の方が日本語ではない言葉で男性にセリフを投げつけ、部屋から飛び出した。

 バタンというドアの音とともに、観客は手を叩いた。

「これ、何ですか?」トリッシュはテレビを見て目を細めた。

「Kドラマ」車椅子の女性は、精神的に不安定な人を見るようにトリッシュを見た。

「K何ですか?」

「韓国ドラマよ」生え際は白いが黒髪の女性がトリッシュの反対側に座り、テレビの方を身振りで示した。

「みなさん韓国語が分かるんですか?」そこにいたほとんどの老婦人たちはアジア系だったが、中には白人もいて、ヒスパニック系の人も一人いた。

 赤いセーターを着たアジア系の老婦人がクスッと笑った。「まさか。字幕を読んでるの」

 コマーシャルになった。トリッシュは字幕が出ていたことすら気がつかなかった。コマーシャルは終わったが、次は出演者名と次回予告で、きれいな女性とハンサムな男性がたくさん出てきた。ため息をついている人もいて、老婦人たちは立ち上がり始めた。

「これで終わりですか?」

「明日は別のドラマを見るの」赤いセーターの老婦人が手を叩いた。「キュートな医者が出てくるのよ――」

「ヒョンキは逮捕されるのかしら?」一人が胸に手を当てた。「そうなったら大変だわ」

「やっちゃったのよ! 何言ってるの?」

「やってない! やったように見えたけど、はめられたんだと思うわ」

「あの青い服を着た怪しい女にはめられたのよ」

「だけど、何のため?」

 トリッシュはかがんで、歩行器に入ろうとするおばあちゃんの手助けをした。「みなさん、本当に夢中なんですね」

「みんなってことはないのよ」そのおばあちゃんは赤いセーターの老婦人の方を頭で示した。「昨晩この人はね、息子の電話に出ようとしなかったの。八時と九時の間に電話をかけるのは非常識だってね」

 トリッシュはクスッと笑った。

「あなた、私のことを笑うけど、嫉妬してるのよ」赤いセーターの老婦人はいたずらっぽく笑った。「来月Kドラマクルーズに行ったら、あなたたちのことを懐かしく思い出すでしょうね」

「あなたったら」「言わせておけばいいわ」「きっと船酔いするでしょ」

「Kドラマクルーズ?」トリッシュは本当に知りたいのかどうか、分からなかった。

「とても面白いわよ」その老婦人は歩行器を動かした。「いくつかのドラマが撮影された島に連れてってくれるの」

「俳優にも会えるんですか?」

「会えないと思うわ。ミリーが去年Kドラマクルーズに行った時は、俳優のサイン入り写真がもらえたそうだけどね。まるでアカデミー賞をもらったみたいに大事にしてるわよ」

「こっちに来て座ったら?」赤いセーターの老婦人は、また数人が集まっている場所を身振りで示した。「あなた、名前は?」

「トリッシュです」ここにいる人たちは明るいだけで、実はアルツハイマーか認知症の患者だと思い込んでいた自分のことを、後ろめたく思い始めた。それに、Kドラマの話を聞くのはかなり楽しかった。ルール二番、「他の人にキリストの話をする」を実行するときじゃないのか。これは最高のチャンスだ。「じゃあみなさん、自然界の法則が物理的宇宙を支配しているのと同じように、霊的な法則があるのをご存知ですか。」

「あなた、結婚してる?」赤いセーターが身を乗り出してきた。

「えっ? してません」何という質問。「あの、霊的な法則が支配しているのは――」

「彼氏は?」

「いません。霊的な法則は――」

「あなた、レズビアン?」

「いいえ」ちょっと、年寄りだからって、何を聞いてもいいというのか。

「よかった」赤いセーターは席に深く座り直した。

 まずい、これはよくないサインだ。「どういう意味ですか?」

「ああ、何でもないの。私はクララよ」

「マーサ」「すみよ」「エリアナ」

「お会いできてうれしいです」次の瞬間、この人たちの名前を忘れてしまった。

 シワの寄ったアジア系の女性が一人、会話の輪の中ではないが近くに座っていて、無言で顔をしかめた。なんて失礼な。

 クララがトリッシュの方に体を傾けてきた。「耳が遠いの。名前も知らないのよ、私たち」

「ああ」トリッシュがその耳の遠い女性に微笑みかけると、その人はしかめっ面を返した。うなり声を上げて牙をむかれるかと思った。(機嫌が悪いのかな?)

「あなた、来週も来て私たちと続きを見るの?」すみよ(だと思う)が尋ねた。「三〇分早く来たら全部見られるわよ」

 なるほど。「そうですね、三時三〇分に来ます」

「次はいいエピソードよ。疎遠になってるお父さんが帰ってくるの。多分、あの男の人を殺すと思うわ」

「まるでメロドラマね」クララは呆れたように目をぐるりと回すようなことはしなかったが、あと二〇歳若かったらそうしていたかもしれない。「そこまでひどくないんじゃないかしら」

「どうしてそう思うの?」

「私はね、バーチャルファンクラブの会長なの。あの俳優を降板させるなんていう情報は真っ先に入ってくるものよ」

「あの俳優さんはファンクラブがあるんですか?」そして、このおばあちゃんはインターネットも使えるのか?

「あなた、キーホルダー持ってる?」「見せてあげなさいよ」すみよとエリアナがクララに手を振ると、満足げな笑みが浮かんだ。

 クララはキーホルダーを見せびらかした。と言っても鍵はついておらず――その俳優の写真が入った何十ものフォブ(卵型のキー)ばかり。なるほど、この俳優はイケメンだった……会ったこともない人の写真を見ることは、ルール一番に反するだろうか?

 エリアナがフォブの一つを指さした。「サンフランシスコに来たときにね、姪がホテルに行って、彼が出てくるまでロビーで待ってたのよ」

 ストーカー?

「それで写真を撮ったの」エリアナは夢見るようにため息をついた。「だからポスターサイズに拡大して、部屋に貼ったのよ」

「私の甥はね、毎回ティーボに録画してDVDに焼いてくれるのよ」四人目の女性――マーサだったか?――は、嫉妬でワサビのような顔色をしている周囲の女性に対し、一瞬威張って見せた。

「息子の義父も見てるのよ」すみよが近づいた。「全シリーズ買って――韓国からの直送なんだけどね――DVD一枚が百ドルしたの」

 大きく開けた口から入ってきたそよ風で、トリッシュは扁桃腺が揺れるのを感じた。「嘘よ、もう黙って!」

 四人の女性――耳の遠い名前不詳の人以外――は、姿勢を正した。「何て言ったの?」クララの顔は、セーターの色と同じぐらい赤くなった。

(マズい)「ごめんなさい。言葉のあやで――つまり『そんなばかな』とか『信じられない』って意味なんです」インターネットファンクラブだからと言っても、この人たちは自分の同僚やいとこではないのを覚えておくべきだった。

 みんなは落ち着いた。「あなた、そういう言葉は使わない方がいいわ。とても失礼よ」

「もう使いません」少なくともこの人たちの前では。

「トリッシュ、行く時間よ」クリスティーナが近づいてきた。「こんにちは、みなさん」

 頭を下げて挨拶を返した。

クリスティーナは耳の遠い女性に向かって声を上げた。「こんにちは、デボラさん!」

 デボラは明るくなって顔を向けた。クリスティーナの声が聞こえたのか、トリッシュには分からなかったが、少なくとも自分の名前は知っているようだ。

「は? デボラさんって?」クララが周りを見回した。

「それじゃあ、みなさんまた」トリッシュは立ち上がった。

「ちょっと待って!」クララは手を伸ばし、トリッシュの手をつかんだ。わあ、この人の握力、タカのようだ。「私の甥に会わない? もうすぐ来るから」クララは輝くように微笑んだ。

 何てこと。祖母と同じぐらいひどい。「クララさん、ご親切ですね。でも、きっと甥御さんはもうガールフレンドがいると思いますよ――」

「いないのよ」

 他の女性もうなずいて、クララの甥が、明らかに介護施設から権力を行使している女家長の言いなりになっている独身男性であることに合意した。

「それじゃ、次回にしましょう」クリスティーナは何とかクララの握力からトリッシュの手を解きほどいた。「さようなら!」二人は逃げた。

「ありがとう、クリスティーナさん」トリッシュはあざのできた手首をさすった。クララは祖母のように超人的な握力を持っていた――もしかして、歳を取ると鉄の手錠のようになるのだろうか?

「あなたのためにやったんじゃないわ、残念だけど」

「どうしてですか? あの方の甥を避けられたんですよ」建物の外に出た。

「今週はね。来週は必ずいるわよ」

 そうか、困った。だけど、ハンサムじゃないかもしれない。つまらない人だったら? 座って話をしなきゃならないだろう。あるいは、みんなとKドラマを見たいという言い訳を使えるだろうか。少し面白そうだったし……。

「それだけじゃないの」クリスティーナはため息をついた。「他の人たちも、甥や孫、それに遠縁の独身男性も全員連れてくるわよ」

(何てこった)

 トリッシュに二四カラットの笑みを見せた。「じゃ、来週また!」

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※少しでも物語を楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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