【オンリー・ウニ】第14章
『オンリー・ウニ』
寿司シリーズの第二作著者:キャミー・タング
日本語訳:西島美幸
第14章
教会の台所には、女性が二〇人、子供が二人いた。子供の一人は、蛇口でコップに水を入れていた。もう一人は、床の排水管にゴールドフィッシュ(金魚の形をしたクラッカー)を詰め込んでいた。忙しそうに働いている二〇人の女性はそれに気づいていないようなので、トリッシュがゴールドフィッシュの男の子を取り押さえた。その子が甲高い声を上げ、台所で順調に進んでいた作業が止まった。女性らはじっと見ている。トリッシュは彼女らの心が読めた――トリッシュが格闘した亜麻色の髪の男の子は、明らかにトリッシュ自身の子供ではない。
クラッカーを両手で持っている男の子の手を指さした。「これで排水管を詰まらせてたので」
金髪の母親が台所に飛び込んできた。「ダニー、ここにいたのね」誘拐犯から子供を取り返すように、母親はトリッシュから息子をひったくった。
トリッシュは、クラッカーと排水管のことをもう一度説明した。母親は笑った。「違うわ、この子は排水管からクラッカーを取り出そうとしてたんじゃないかしら。スイーティ、行くわよ。小さいところに手を入れちゃダメだって、いつも言ってるでしょ。さあ、手を洗いましょう」四歳の息子に優しく話しかけながら、台所を出ていった。
トリッシュは、シンクで鍋を洗っているティーンエージャーから、コンロ前のスペースを奪い合うおばあちゃんまで、台所にいる全員から注目を浴びた。
「お手伝いに来ました。スペンサーに来るように言われて――」
「はいはい」大きな食器棚の前に座り込んでいた、太ったアジア系の女性が立ち上がった。「スペンサーから聞いてるわ。あなたがトリッシュ?」
トリッシュはうなずいて微笑んだが、青白いブルドッグのような顔は笑顔を返さなかった。「料理はできないって聞いてるけど」
何てこと、長い土曜の午後になりそうだ。
その女性――かめ子は――そのかすかななまりは日本人だろうか?――二人の元気なティーンエージャー、モリーとメアリーの隣にある三つ目のシンクにトリッシュを押し込んだ。「鍋を洗ってくれるかしら」
まあこれだったらトリッシュにもできる。焦げた鍋の底をゴシゴシこすり始めた。
モリーだっけ? メアリーだっけ? に笑いかけようと横を向いた。しかしその娘はさっと目を背け、隣にいる友達との会話を再開した。「今日ライアンに会った?」
「ウエイターのユニフォーム着てると、ほんとにかっこいいよね」
「私たちも給仕担当だったらよかったのにね」口を尖らせて、ガラスのボウルをスポンジでさっとこすった。
友達の方は顔をしかめた。「去年チャラチャラしすぎてロマーノさんの頭の上にスパゲティを落とさなかったら、今年も給仕をさせてもらえたかもね」
「チャラチャラしてない! その言葉、取り消して」
「いやよ」首を突き出し、こすっていたフライパンを落とした。
トリッシュは彼女らを取り締まった方がいいのだろうか。「あなたたち、何年生?」
二組の鼻の穴がトリッシュの方を見てふくれ上がった。「高一」そして、トリッシュの近くにいた方の女の子がもう一人の方を振り向いた。「取り消さない」
「どこの学校?」トリッシュは鍋を洗い終えて、その娘が放棄したフライパンを取り上げた。
「ベルフリー。取り消してくれって誰が頼んだ?」
「運転はできる?」
「まだ。友達解消したいって意味?」
「ボーイフレンドは?」トリッシュはコップの山と、洗い桶の食器に取りかかった。
女の子の一人が彼女の方を向いた。「関係ないでしょ」その頭は、首振り人形のように前後に揺れた。
未熟なお嬢さんたちだ。トリッシュは無頓着に肩をすくめた。「ちょっと興味があるだけ」
「ほっといてよ」甘やかされて育ったような身振りで長い黒髪を揺らした。
「ライアンが女の子と話してるの、見たわよ。知りたくないようね」トリッシュはフォークとスプーンを洗い終え、積み上げられたお皿に取りかかった。
二つの大きく開いた目に釘付けにされた。「ええっ?」「誰?」
ライアンというのは、さっきロビーで見た、ウエイター用の白黒の服を来た背が高くて元気がないティーンエージャーだろうと、トリッシュは推測した。働いていないのはその子だけだった。「可愛い金髪の子。素敵な巻毛の」実を言えば十歳ぐらいの女の子で、明らかに片想いのようだったが、ライアンは、一緒にいた祖母から逃げようとしているその子の相手をしていたようだ。
「それ、誰よ?」
「巻毛で金髪の女の子なんて知らないわ」
「シェイナが誰にも言わずにパーマをかけたのかな」
「そうかもね、ずる賢いから」
「ライアンのこと大好きだし」
「終わったわ」トリッシュは最後のお皿を洗い、まだお皿を優しくなでている二人の女の子を見つめた。
自分たちのお皿をまだ洗い終わっていない二人は面目を失ったようで、一人が顔をしかめた。「はいこれ」ガラスのボウルをトリッシュの方に押し付けた。
トリッシュは思わず手を伸ばしたが、その娘はわざとボウルを床に落とした。その衝撃音は、近くにあったコンロ上の大きいステンレススチールの換気口にこだました。
かめ子が急いでやって来て、長いため息をついた。「不器用ね。まあほとんど終わっててよかったわ」
性悪のティーンエージャー二人はニヤニヤ笑った。
かめ子はそれに気づかず、トリッシュの腕をつかんだ。「来てくれる? 他にも仕事があるから」
かめ子が向こう側を向いているうちに、二人の女の子はおどけた調子でトリッシュに指を揺らした。トリッシュは歯をむき出しにして見せた。二人は飛び上がった。
かめ子はトリッシュの肩越しに、ティーンエージャーに言いつけた。「あなたたちのどちらかは、コップを片付けてくれる」
(やった!)
かめ子は、玉ねぎのみじん切りをトリッシュに任せた。マニキュアが台無しになるだろう。今回は贅沢をして、親指に小さいクリスタルのアクセントをのせたのに。
玉ねぎの皮が鈍い包丁の下ですべり、うまく切れない。ゆっくり切った。
女の人が来て、トリッシュがみじん切りにした玉ねぎを盗むようにボウルに取ってコンロまでさっと戻り、シューッと音を立てるフライパンに投げ入れた。こしょうがきいたファヒータのにおいが台所を満たした。
「もっと早く!」かめ子がどなった。もっと早く切った。ナイフが滑った。少しチクッとした。まな板の上に血がにじんだ。
「あいやっ!」トリッシュはガチャっと包丁を落とした。手を胸の方に引っ張りながら急に向きを変えたので、血が飛び散った。隣の女性のまな板の上にあるみじん切りにしたにんじんの上にも数滴溶けていった。
その女性はトリッシュの方を向いた。「あなた、大丈夫? ティッシュを持ってくるわね」
トリッシュは一日中試薬を扱っているが、血液は扱っていない。自分の血液なんて、なおさらだ。部屋がぐるぐる回り始めた。人差し指がズキズキして、頭痛が始まり、鼓動が波打った。出血多量で死んでしまう……。
「ちょっと見せて」かめ子はトリッシュの手をつかみ、大きなふきんで指を巻いた。
強く巻かれすぎて、指関節から指が飛び出るかと思った。「イタ、タタタタ!」
かめ子は嫌な顔をした。「動かないで」きれいな色のリボンで飾ったクリップで痛そうなほど引っ張られているまっすぐな黒髪を、もう片方の手でなでた。
「あの……かめ子さん?」別の女性が、近くのスタンドミキサーを覗きながら呼んでいる。「このクッキー生地、なんか変だわ」
かめ子は急いだ。あいにくトリッシュの指を持ったままだったので、彼女も引っ張られた。「どうしたの?」
「こんなピンク色でしたっけ?」薔薇の花びらのような色になったシュガークッキーの生地の塊を持ち上げた。
かめ子は眉をひそめた。「違うわ」それから、つかんでいるトリッシュの指を見下ろした。
トリッシュが玉ねぎのみじん切りをしていた場所をチラッと振り返ると、まな板に血が飛び跳ねているのに気がついた。スタンドミキサーの周りにも。
かめ子は、オーブンなしでクッキーが焼けてしまうほど激しくにらんだ。「その生地は捨ててくれる」その女性に話しているのだが、目はトリッシュの目と合っていた。
その女性の眉間にシワが寄った。「どうしてですか? 何が入ってるのかしら?」
「バイオハザードです」トリッシュは甲高い声で言った。
かめ子がうなった。
トリッシュは口を閉じた。助けになろうとしただけなのに。「バイオハザード」の方が「血液」よりずっと聞こえがいい。
「あ、にんじんにも少し入ってるかもしれません」空いている手で指さした。
かめ子は呆れた顔で天井を見て、トリッシュには分からないことを何か日本語で言った。そしてトリッシュの腕をグイッと引っ張った。「あなた、迷惑だわ」混雑する場所を通ってトリッシュを急がせ、働いている女性数人を過ぎて、ドアの方へ押しやった。「バンドエイドをもらって来てあげるから、その後は帰っていいわ」
「だけど私、手伝いに来たんです」廊下の反対側にある教会事務所の方へ押されながら、トリッシュはモゴモゴ言った。「これ、ちょっと深刻だと思いませんか? 縫わないといけないかも――」
「台所に入らないでくれるんだったら、救急まで連れてってあげるわ」かめ子は事務所のドアへ入る鍵を手探りで探した。
ソーシャルホールから聞こえてくる騒音は、いつも静かなうなり声のように聞こえる――多分、補聴器をつけていない高齢の教会員だろう――しかし、急にフットボールの試合のような騒音になった。ソーシャルホールの開いた二重ドアの方を向いた、かめ子の一本につながっている眉にシワが寄った。「どうしたのかしら?」
給仕をしていたティーンエージャーの女の子が走って出てきた。「カーターさんにちょっとトラブルがあって」
「どんな?」
「もう大丈夫ですけど、これが喉に詰まったみたいです」その女の子が手を開くと、何か小さく輝くものがあった。
ああ、クリスタル。トリッシュの爪についていたのに似ている――。
違う――まさしくトリッシュのマニキュアから剥がれたものだった。親指のマニキュアのこすれた跡から考えて、あの時の玉ねぎと包丁が何か関係しているようだ。
どうやって――? ああ、あの女の人がファヒータの鍋に入れた玉ねぎだ。
トリッシュは咳払いした。「かめ子さん?」
「何?」(そんなつっけんどんな言い方をしなくてもいいのに)
「あのファヒータ、ちょっとダメかもしれません……」
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※少しでも物語を楽しんでいただけたなら嬉しいです。
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