【オンリー・ウニ】第17章

『オンリー・ウニ』

寿司シリーズの第二作
著者:キャミー・タング
日本語訳:西島美幸
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第17章

 放っておくべきなのは分かっているが、トリッシュと一緒にいる和夫を教会で見かけることは、スペンサーにとってデジャヴ* 以外の何ものでもなかった。

 報告書を書きながら、必要以上に強くキーボードを叩いた。トリッシュが和夫と付き合っていたとは――その能力、執拗さ、女性関係をトリッシュは知っているはずだ。

「ヘイ、スペンサー」トリッシュはオフィスに飛び込み、バッグを床に投げた。弁当箱をビニール袋から出すと、カサっと音がした。「他に教会でできることある?」

「日曜学校は気に入らなかった?」子供の扱いは得意だと思ったのに。

 空いているデスクの下に置かれた小さい冷蔵庫に向かった。「日曜学校はよかったけど、月交代なの。だから、追加で何かしなきゃ」

「引き受けすぎるのは良くないよ」

「大丈夫」冷蔵庫のドアを閉め、腰に手を置いてスペンサーの方を向いた。「私ね、神様に完全に捧げる人になりたいの。もっと神様のために奉仕がしたい。ルール二番、他の人にキリストの話をする」

 またそのルールか。「他には考えることがないのか?」

 トリッシュは頬の内側を噛んだ。「教会の人、あまり知らないから」

 訪ねてきたあの元カレ以外にはね。

(バカ、放っておこう)和夫のやりたいようにさせればいい。トリッシュは大人なんだ。

(いや、できない)トリッシュは和夫とは段違いだ――あいつはヘビ使いみたいに心を奪う奴だ。陽気なトリッシュから元気を奪い、自分の好きなように操ることができる。

 何とかしたいと思うのは、トリッシュのためだけではなかった。教会で忙しくしていれば和夫を遠ざけられるというのなら、もちろん何だって手助けしよう。

 最近教会での会議の時に使ったファイルはどこだったか? まだラップトップに残っているかもしれない。カバンの中を探った。「礼拝だったらいつも誰か探してるよ」

 トリッシュはメロドラマ的に手を放り上げた。「『歌えない』ってどういう意味か知ってる?」

「知ってるよ、だけどさ……」言うべきかどうか迷った。神様の声を聞いたのは大昔だったので、ちょっと鈍った気がした。「君のために何か新しいことがないかを考えるとさ、いつも礼拝が思い浮かぶんだ」

 トリッシュが口を開けたが、スペンサーはそれをさえぎった。「君が言ったことは覚えてる。だけど、君が賛美チームで奉仕をしたらどうかっていうのは僕の思いつきじゃないんだ」

 トリッシュの唇が小さい丸になった。足元に目を落としている。「なんて言っていいのか」

「僕のことを信じる必要はないけど……祈ってみるとかしたらどう?」

「分かった、だけど約束はできないから」

 肩をすくめた。「もちろん」電子手帳の中にようやくファイルを見つけた。「かつタワーで人が必要みたいだ」

「老人?」トリッシュの顔は正直に感情を表していた。

「介護施設。教会の近くだから、訪問してる」

「それで何するの? 廊下で車椅子レース?」

「何だよ」手を伸ばして彼女を揺さぶりたかった。「家族が誰も会いに来ない人が沢山いるんだよ」

 トリッシュは氷点下の中に突き落とされたように青ざめた。「ごめんなさい。私って、ひどいわね」椅子に沈み込み、そして突然立ち上がって、血清用ピペットのようにまっすぐ背筋を伸ばした。「もちろんやるわ。いつ?」

「木曜日の四時ごろ、チームで訪問してる」

「早く来て仕事を終わらせる」コンピュータをつけた。「情報はメールして」

「偉そうだな」

 彼女は生意気な表情を向けた。「今週は変人みたいなことしないわよね?」

 先週だって変人みたいなことはしていない。その前の週は、トリッシュの気を引こうとしていただけだが、先週は……うん、確かに親切だった。もしかしたら、それが彼女を混乱させたのか――確かに彼女は顔を赤くして、何度か彼を避けた。「かしこまりました。礼儀正しくします」

「じゃあ、偉そうにしないようにしてあげる」コンピュータの方を向いた。「あっ、忘れてた」

「何を?」

「教会事務室の人は誰か聞こうと思ってたの、礼拝プログラムに広告を入れてもらいたいから」

「広告は入れてくれないと思うよ」

「なーんだ」肩をすくめた。

「だけどロビーに掲示板がある」

「ああ、あのチラシがたくさん貼ってある大きいやつ? あれは、教会のイベント関連だけだと思ってた」

「どんな広告が貼りたいんだよ」

「ルームメイト募集」

「いるんじゃなかったのか」電話での会話を耳にした限り、かなり無愛想なルームメイトのようだった。

「その子は引っ越すの。彼女といると、本当に不愉快――あの……」

「なるほど」

「君の元カレは、戻ってきて欲しそうだったね」目はコンピュータのスクリーンを見つめたままだった。そう、スペンサーは探りを入れていた。

 トリッシュは咳払いをした。「彼にいくら頼まれても、あの足元にひざまずくのはまっぴらよ」

 和夫と話すときの口調からして、かなりの誘惑と戦ってきたようだ。しかしトリッシュがこのように主張するのを聞いて、スペンサーは少し気分が良くなった。それを誰かに打ち明ける訳ではないが。

「独身者グループはどう? 集会は水曜日の夜だよ」

 トリッシュは動かなくなった。「本当?」

「そこで色々聞けるんじゃないか」

「あなたも行くの?」

「独身者グループ?」もしかしてトリッシュは――ああ、そうか。知らないんだ。「いや、もう行ってない」思わず少し鋭い口調になってしまった。

「どうして? 水曜日の夜は可愛い子とデートなの?」

 ふざけて言っただけなのだが、アッパーカットを食らわせてしまったようだ。ブラスナックルで。「そうだよな、君って僕のことをそう思ってる。女の子と出かけて、毎晩パーティーって」スペンサーは立ち上がった。

 その厳しい口調に驚いた。「ごめんなさい――」

「そんなこと思ってないだろ。君はいつも正直にモノを言うから」

「からかっただけ――」

「僕が毎晩何してるか知ってるのか? なんで毎日五時に帰ると思う?」

 唾を飲み込んだ。「考えてなかった――」

「いつも何も考えてないな。僕のことは何も知らない」スペンサーが毎晩何をしているのか、疲れて帰宅する夜、どこか他のところにいたいと思っても、そう思ってしまう罪悪感から動けなくなる夜があることなど、トリッシュは想像もしなかった。

「分析があるから」スペンサーは壁のフックからラボ用白衣をひったくり、ドアをバタンと閉めて出て行った。

 何かが床に落ちる音が聞こえた。彼の電子手帳だったかもしれない。

 

「ハーイ、トリッシュ。グリゼルよ」

 携帯から元気な声が跳ね返ってきた。トリッシュは携帯を持つ手を変え、高音量のために半ば聞こえなくなった耳を指で揺らした。「ハーイ、どうしたの?」

「アパートでやってる聖書研究が今晩はキャンセルになったから、独身者グループに行こうかと思うんだけど、あなたは行く?」

「うん、行く。じゃあ教会でね」新しい人に会うのはおっくうではないが、知っている人がいればもっと安心だ。三色の三人組も、週末戦士の連中も、二週間前に初めて会って以来見かけなかったが、彼らのあまり乗り気ではない歓迎を受けたときの記憶が傷跡になって、まだ少しヒリヒリしていた。

 まあ、いい。自分のことを気に入らない人がいたって、どうってことない。少なくとも頭では分かっている。少し気分が悪くなるだけのことだ。

 グリゼルがどうしても迎えに来ると言うので、座り心地のいいセダンに乗せてもらった。床マットは、落とした食べ物を拾って食べても気にならないほどきれいだった。干からびたフライドポテトが散らかっていて、ゴミ箱がわりに使っているスーパーの袋からティッシュがあふれているSUVにグリゼルを乗せることにならなくて本当によかったと、トリッシュは感謝の祈りを捧げた。それに、座席にも食べ物が散らかっていた。

 教会の中は、独身者グループが集まるソーシャルホールだけではなく、全体が輝くように照らされていた。「別の礼拝でもあるのかな?」グリゼルの車のドアが少し開きづらかったので、ひねくれ者のトリッシュは嬉しかった。

「ないけど、他にも聖書勉強会のグループが集まってるからね」グリゼルは車のアラームをかけ、先に中へ入った。「男性グループ、仕事と子育てを両立してるママさんのグループ、それにユースグループ……」

 今夜の独身者グループは、日曜日より多いようだ。明るく照らされたソーシャルホールの各所で小さいグループになって雑談していた。

 何と、グリゼルは入り口で少しためらっていた。トリッシュはまばたきした。グリゼルみたいに完璧な人が内気だなんて思えない。確かに、そういうことについてはトリッシュの方が優っていた。

 グリゼルの腕に自分の腕を巻きつけて、押し入るように中へ入った。

 ドアの近くにいたのはダサ男――いや、教会で初めて会った利口な男性のグループだった。「ハーイ、ジャスパー、ウィリー、ジェラルド。グリゼルに会ったことある?」

「見かけるよ、だけど独身者グループにはあまり来ないんじゃない?」ウィリーが可愛い笑顔を向けた。彼がこんな風に話すのは意外だ。

「ええ、いつもだったら水曜日の夜はうちのアパートで聖書勉強会があるの」トリッシュは、突然グリゼルのような性格を嬉しく思った――彼女は、こうした優しい人たちに「オタク」のような気持ちを抱かせることがなかった。(やめて、そんなふうに考えるべきじゃないわ)彼らはいい人で、賢く、ちょっと社交性に欠ける――いや違う、それはちょっと失礼だ。うーん……社交的な経験が少ない若者だ。

 五〇センチも離れていないところにいるのにトリッシュを無視しようとする週末戦士よりは、ずっといい人たちであることは確かだ。

 その時、その中にいる男性の一人――イブ・サンローランのシャツを着ていた――が二人の方を肩越しに振り返り、二度見していた。もっと具体的には、グリゼルを。キラキラ光る髪(帰りの車の中で、ヘアケアの秘訣を聞き出そう)からサンダルまで、花柄のスカートのすそからのぞき見するように。

 嫌なやつ! そのジロジロ見る目がトリッシュを通り越していったことは、別に関係ない。五キロは痩せた方がいいと分かっているが、目障りだと思われる筋合いは絶対ない。

 話が一段落し、彼らは他のグループへと紛れ込んでいった。イブ・サンローランのシャツは二人を目で追ったので、仲間がそれに気づいたようだったが、グリゼルは全く気づいておらず、トリッシュはわざわざ何も言わなかった。

 トリッシュは、親しみやすそうな二人の女性のところへグリゼルを引っ張っていった。近くにいるのにさっと目を背ける三色の三人娘――金髪、赤毛、焦げ茶――とは違い、笑いかけてくれた。内気なために目を背けてしまう女の子がいるのは分かっていたが、この三人娘の場合はそういう意味じゃないと思った。グリゼルが一緒にいなければ、わざとあの三人のグループに割り込んで、イライラさせてやるところだったのに。

 何て感じの悪いトリッシュ。レックスの影響に違いない。あるいは、「キリストにあって新しく造られた者」になるためには、神様はもっと時間が必要なのかもしれない。

「マーシーよ。こちらはエミー。教会に来てる?」一人がトリッシュに尋ねた。

「二週間前に来だしたところなの」

「独身者グループのランチには行ったことないよね?」背が高い方のエミーは、滑らかな焦茶色の前髪を払った。

「ええ、行ったことないわ」

「今度の日曜日、来れば?」と言いながらマーシーがうなずくと、茶色の巻毛が頬の横で揺れた。

「あなたってどこかで見た気がするんだけど、礼拝では見ないわよね」エミーの目は、トリッシュをじっと見すぎて中央に寄ってきた。「どの辺に座ってる?」

「あなたたち、覚えてない?」そのなめらかな声は、ギザギザのナイフで岩を削るように、トリッシュの肩の上でギシギシと音を立てるような鋭さがあった。

 それは直接向けられた質問ではなく、近くに立っていた三色の三人娘から聞こえてきた言葉だった。金髪は、何か秘密を話すように友達の方に寄りかかっていたが、その声は鮮明に聞こえた。「あの娘って、二週間前の礼拝の時に大騒ぎしてた子じゃない?」金髪はクスクス笑い、友達はそれに続いた。

 マーシーの頬は、きれいなイングリッシュローズのように赤くなった。グリゼルは混乱しているように見えた。

 エミーは振り向いて三人娘をにらみ、気まずい沈黙の中に真っ向から踏み入った。「あそこまで……大胆に礼拝できる人がいるなんて、本当に羨ましかったわ」

 大胆……そういう言い方もあるのか。

「ねえみんな、座ろう。始まるわ」ソーシャルホールの前では、エドとオリビアがギターを弾く準備をしていた。

(やった)トリッシュは後でオリビアと話ができるだろうと期待した。

 グリゼルと一緒に前の方に座ったのだが、がっかりしたのは、金髪グループが後ろに座ったことだった。「あら、ハーイ。トリッシュだっけ?」金髪がささやいた。トリッシュを笑い物にして冗談を言っていたのを忘れたかのように。

「ハーイ、金髪――じゃなくてケイティ? ケイトリン?」

「キャシーよ」にらみすぎて、カールした濃いまつ毛がその青い目の邪魔になっている。それとも、この明るい蛍光照明の下で宝石のように見える青いコンタクトレンズのせいだろうか。

 突然、礼拝の時にトリッシュがいつも感じていた喜びは、一杯の水にエアーボーン(免疫力を高める効果があるサプリ)のタブレットを入れたように消えてしまった。

 礼拝の間、惨めな気分で座っていた。立って礼拝したいけど、しなかった。座っていたくなかったが、いつものように立とうとする衝動を感じなかった。

 この日はエドによるメッセージで、それは困難の中で神様に従うことについてだった――はいはい、神様を信頼すること、もう分かっていた――そして、メッセージが終わった。軽食がホールの後ろに魔法のように現れた。

 オリビアも、魔法のようにトリッシュの前に現れた。「どうしたの?」その声は金切り声に近かった。

 トリッシュはまばたきして口を閉じ、金魚のような表情をやめた。「は?」

「あら、何てこと……あの子たちにやられたの?」オリビアの黒い目は心配そうに柔らかくなった。

「あの……グリゼルに会ったことあります?」

「ハーイ、グリゼル。あなたのクラスに甥がいるのよ」

 グリゼルはうなずいて微笑んだ。「とてもいい子ですよ」

「じゃ、話題を変えるのはやめよう」オリビアはメジャー・セブンス・コード** より鋭い目でトリッシュをくぎ付けにした。

 トリッシュは肩をすくめた。

「礼拝の音楽のこと?」

「全然違います」

「じゃあ、何?」

「何のこと?」グリゼルの目は二人の間を行ったり来たりしている。

「堂々と礼拝するって、どんなことだったか忘れたみたいね」オリビアの口調は冷淡だった。

「だって……」トリッシュはため息をついた。「……好かれたいし」ちょ、ちょっと待って、そんなことを言うつもりはなかった。

「あの娘たちから?」グリゼルは、ほんの一メートル先に立っていたそのグループを指さしそうになった。

「分かってる、馬鹿だよね。どうしてだか分からないけど、ただ意欲がなくなっちゃった」トリッシュは座って猫背になった。

「まあ、ハニー」オリビアはその金褐色の手を伸ばし、トリッシュの手に重ね合わせた。「自分じゃない人になろうとしたらダメよ」

「だけど、私っていう人は、あまりいい人じゃないから」トリッシュは足元を見つめた。「と言うより、いい人じゃなかったから。いつになったら人は新しくされるのかな?」

「天国よ」オリビアが言った。

「キリストを受け入れたときよ」グリゼルが同時に言った。

 トリッシュは二人にまばたきした。

「その両方よ」オリビアが笑った。

 グリゼルは周りをチラッと見てから、紺色のタートルネックの衿を引っ張り、鎖骨を数センチ見せた。

 グリゼルの鎖骨は、多彩な色で覆われていた。タトゥー。それに少しひわいな言葉も。

 タートルネックを元に戻した。「あなたがどんな人だったのか、今はどんな人なのか、分かるわ」

 トリッシュは声が出なかった。可愛くて完璧なグリゼルは、肩にののしり言葉のタトゥーを入れていた。

「母の教会には行かなくなったの。周りの反応に耐えられなくて。それほどひどくはないんだけどね」オリビアが口を開けた時、グリゼルは急いで付け加えた。「極度に心配されすぎちゃって」

(私は売春婦みたいなのかも)トリッシュは頭の中でそう思ったが、口に出さなかった。(和夫だけじゃない。他にも複数の男性と寝てしまった)

「イエス様が私たちを自由にしてくれたの」グリゼルはトリッシュのもう一方の手をにぎった。「そういう風に思えない時でも、忘れないで」

(売春婦)「私って、溶け込めない――」

「ハニー、隠さなくていいの。本当に大事な人はあなたを受け止めてくれるのよ」オリビアが彼女の手を握りしめた。

「それに、受け止めてくれない人はすぐに見分けがつく」グリゼルが口をキュッと締めた。

 二人は元気づけようとしてくれているのだが、トリッシュは愛情を与える準備も受け取る準備もできていなかった。とにかく、フレンドリーでいるのは簡単だ。この人たちの新しいコミュニティーに慣れるために。

 昔の自分の中でどの部分がここで受け入れてもらえるのか、いつかは分かるだろう。



* 既視感(実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象)
** ギターのコード名

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※少しでも物語を楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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