【ひとり寿司】第37章

→ 作品ページにもどる

第37章


レックスの足は段ボール箱の端に引っかかり、膝がズキズキした。痛みが消えるまで、うめきながら我慢した。

荷物を詰める前に、住む場所を探すべきだ。だけど、動いて何かしてないと、ダメだ。何が起こったのかを考え始める前に。

ドアベルが鳴った。段ボール箱の間を通って、小股で足を滑らせた。

トリッシュだった。

「入っていい?」

レックスは横にずれた。「あんまり場所はないけどね」

トリッシュは、ベッドまで通り抜けて座った。レックスは少しの間、ドアのそばに立っていたが、彼女についてベッドの方に戻った。

トリッシュは、ほっぺたの内側を噛んで、頭を落としていた。「ごめんね、レックス」

昨日の夜、強情で愚かな自分を思い、イエス様の赦しの中で静まっていた時、トリッシュに腹を立てるのは、単純にバカげた理由のためだと思えてきた。「いいのよ」

「よくない、和夫のことは、あなたが正しかったわ。彼に好きなようにさせてたのは、私だった」

「別れたんでしょ、いいじゃない。白紙に戻ったのよ」

しかし、トリッシュは泣き始めた。「終わってない。あいつに処女をささげちゃった」

驚いた。しかし実際には、驚くべきことではなかった。現実から目をそらしていたとは言え、そうではないかと疑っていたはずだ。

「ある晩、酔っ払っちゃって、そうなったの」涙がトリッシュの鼻を伝い、シーツに落ちた。

レックスは、静けさの中で自分の呼吸が聞こえ、トリッシュの小さい泣き声が聞こえた。何と言えばいいのだろう? 何を考えれば?

「感覚が麻痺しちゃったみたい」トリッシュは鼻をすすった。「これ以上、何か感じないといけないの?」

感覚がない、という気持ちをレックスは理解した。「分からないわ」手を見つめた。

しばらく経って、トリッシュは立ち上がった。「行くわ」

「待って、行かないで」レックスは彼女に手を伸ばした。

「他にいてもらいたい人がいるでしょ」

「あなたにいて欲しいの」

「私に何ができるって言うの?」突然、トリッシュの声の調子が変わった。

「好きよ、トリッシュ」

トリッシュの顔はクシャクシャになった。ベッドにまた座り込み、掛け布団の下に頭を詰め込んだ。泣きじゃくっている。レックスは彼女の頭、肩をさわった。

落ち着くまでに、どれほど時間がかかっただろう。トリッシュは横になりながら壁を見つめていた。

「和夫のことで、神様に祈ってみようと思ったことがなかったの」

「私だって、オリバーのことで祈ろうとは思わなかった。神様に聞いてみようと思ったことが、一度もなかったわ。聞かないで、何でもやった。そしたら、どんどん悪い状況になっていったの」

ドアベルが鳴った。トリッシュは急に立ち上がり、トイレの方を見た。

レックスは立ち上がった。「行って。私が出るから」

ドアを開けると、女性の頭のてっぺんと、男性の胸の辺りが見えた。見下ろした。ああ、ミミか。目を上げた。誰だろう?

ミミが入ってきた。「レックス、マジでもっと大きい場所が必要ね」

「パブリッシャー・クリアリングハウスで当たったら考えるわ」

∗ヴァンナがするように、同伴者に手を振った。「ジャ、ジャーン!」

レックスは見た。トリッシュもトイレから出てきて、見た。

「それで?」

ミミは不機嫌になった。「この人、オリバーに似てない?」

レックスはその名前を聞いただけで、萎縮した。トリッシュはミミの方へ一歩踏み出した。

「あんた、頭おかしいんじゃない? 何やってんのよ」

「昨日の夜、おばあちゃんはレックスとオリバーが一緒にいるのを見たでしょ。それでこれは、彼にそっくりなトレイ」

トレイはレックスに微笑んだ。

「来週のウェディングにトレイを連れて行け、ってことね」

「大当たり!」ミミは顔を輝かせた。

「ちょっとだけトレイと仲良くしたら、おばあちゃんは資金を切らないわ。だって、そもそもゲス野郎を追っかけてる理由はそれでしょ?」

確かにそうだ。恐れを克服したかった。そして、オリバーは彼女のリストにぴったり当てはまっていた。しかし今は、バレーボールの女の子達がそんなに大事なのだろうか?

レックスがトレイをじっと見ると、カテゴリー四のハリケーンのようなパニックが、お腹の中でグルグル回り始め、喉を這い上がってきて、強く締めつけた。

そのしぐさを見たミミの笑顔が消えた。

レックスは、バレーボールの女子達を失望させることができない。どうしても。トレイが一緒にウェディングに行ってくれれば、これほどたやすいことはない。できるはずだ。彼の手を握ることができるはず——

唇を噛むと、血の味がした。目をかたく閉じた。鼻から息を吸った。吐いた。

「レックス」

目を開けて、トリッシュを見た。

「しなくてもいいのよ」ミミは頭を振った。

「できないわ。ごめんね、ミミ。せっかく来てくれたのに——」

「いいのよ。トリッシュに聞いたわ。無理しないで。大丈夫だから」ミミはうなずいて、トレイをアパートから追い出した。「本当に、大丈夫」二人は出ていった。

さて、レックスは中学生の女子らに話をしなくてはならない。

**********


できない。あんなに練習したのに、無理だ。

レックスはジムの外の駐車場で、車の中に座っていた——次の週から職場に復帰するために、ビーナスが手配してくれたレンタカーだ。閉まったジムのドアを見つめた。

あの子達をガッカリさせてしまう。完全に。

祈れなかった。祈らないといけないのに。(神様、お願いです。何とかしてもらえませんか?)

沈黙。しかし、数ヶ月前よりも、親しみ深い静けさであるような気がした。

(お願いです、何とかしてください)神様が何とかしてくれるのを待った。何もしてくれなくても、待った。

電話が鳴った。「ハロー?」

「ミミよ」

「どうしたの?」レックスは車を発進させた。

「住むところ、探してあげたわよ」

レックスは急ブレーキを踏んだ。「本当に?」

「そうよ……私のところ」

ミミの顔が見てみたかった。だって、声がいつもと違う。「あなたのアパートなの?」

「数ヶ月前にね、親がコンドミニアムを買ってくれたの。ルームメートが出てったばかりでさ……だから、越してくる?」

「どこに住んでるの?」

「南サンノゼ」

通勤が大変だ。だけど……「いくら?」

「タダよ」

「タダ?」

「ちょっと……オンボロだから。あなたさえよければね」

「屋根があって、ネズミが出なければ大丈夫」

「ああ、それだったら大丈夫。修理上手な男をルームメートにしようとも思ったんだけど、あなた行くとこないし、それに、もうすぐまた手術でしょ」

「うん」またビーナスに助けを頼んで、仕事の時間を犠牲にさせるのはどうかと、躊躇していたところだった。

「あなたのお世話もできるわよ。それに、元気になったらリフォーム手伝ってくれるでしょ」

この会話そのものがちょっと変な気がしたのだが、レックスは、さっき祈っていたのではなかったか?

「どうしてこんなこと、してくれる気になったの?」

ミミは咳払いをし、少し口ごもった。「だって、あなたは助けが必要で、私はルームメートが必要。あなた、力持ちでしょ。それに『信頼できる』いとこだから、知らない男と一緒に生活するより、あなただったら親が安心する。それに、私のボーイフレンドも盗まない。分からないわ、他にどんな理由を言えばいい?」

「なるほど」

「じゃあ、スポーツ観戦のチケットをくれる、っていうのはどう?」

「それだったら、できると思うわ」スカウトや同窓会の代表に頼めばなんとかなるだろう。

「じゃあ、契約成立?」

「いつ引っ越せる?」


→ 第38章へすすむ
→ 作品ページにもどる
→ 他の作品を見る

Comments