【オンリー・ウニ】第3章

『オンリー・ウニ』

寿司シリーズの第二作
著者:キャミー・タング
日本語訳:西島美幸
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第3章

「チャンキーモンキー、ないんだって」

「チェリーガルシアも」

 トリッシュは冷凍ケースを揺さぶりたくなった。「スイフティマートに来るっていうのは誰の考えだった?」

 ジェニファーは、向こう側でチーズナチョスを山盛りにした大皿を持っているレックスを指さした。「何も食べてないのにパーティーを出ないといけなかったって、文句を言ってるわ」

 トリッシュは口をとがらせた。「体脂肪率十八パーセントなのよ。何を食べても百グラムも増えないの。私みたいな普通の人間と違ってね」小さい冷凍ケースをにらんだ。「アイスクリーム食べたい!」

 ビーナスが滑るように前に出た。「うちに脂肪分ゼロのフローズンヨーグルトがあるわよ」

「オエッ」トリッシュとジェニファーは、二人そろってビーナスにしかめっ面をした。

 ビーナスは、マニキュアをした指でトリッシュをつついた。「だったら、体重のことで文句を言わないでよ」

 ジェニファーは笑顔になりそうになるのを我慢して、長い髪の毛をいじった。

 トリッシュはブツブツ言いながら、冷たいガラスのドアにおでこを押しつけた。

 ビーナスは腕を組んで、鼻をすすった。「それで、早く出ないといけなかった理由は?」


 トリッシュはあの時、アリスに何と言ったのか思い出せなかった。「どうして父とキスしてたんですか?」なんて言わなかったことを願う。

 レックスがビーナスを後ろに従えたトリッシュとジェニファーを群衆の中で見つけたのは、実に絶妙のタイミングだった。パーティーを出るための言い訳も作った。ビーナスのアパートが一番近いので、そっちに向かった――まずベンアンドジェリーズに寄ってから。



 ねばねばするフェイクチーズをのせたトルティーヤチップスのお皿を持って、レックスが近づいてきた。「じゃあ行こうか? どうして早く帰らないといけなかったの?」

 ビーナスの冷ややかな目が光った。「和夫を避けるためってだけじゃないわよね?」

 トリッシュのお腹の中は、ブクブクと音を立てた。「うん、そうじゃない」まあ、そのためでもあったけど。

 なぜトリッシュは、いつも悪い男に引き寄せられるのだろうか? 例えば、あのハンサムな詩人のジョス。コカインでハイになっている時だけ、彼女の体内をとろけさせるような詩を書いた。それから、社交ダンス――特にサルサ――が得意なフランクは、トリッシュのことをジェニファー・ロペスのようにセクシーで才能があるように思わせてくれたが、片手間に複数のバレリーナとも関係を持っていた。ロブは、若くてきれいないとこと少し近すぎる関係にあった。車が自慢のアンドリュー。変な場所にたくさんピアスをつけたカール。

 トリッシュは、自分の意思に反してイン・アンド・アウト・バーガーに惹きつけられるダイエット中の人のようだった。いや、イン・アンド・アウト・バーガーは健康的すぎる。そうだ、ファット・バーガーだ。ダイエット中の人がファット・バーガーに惹きつけられるみたいだ。

「あれ、ほんとにロマンチックだったと思わない?」ジェニファーが冷凍庫の中を物色している間、そのお尻は空中で揺れていた。無印のナポリタン・アイスクリームの大きいパックを手に取って、背筋を伸ばした。

 ビーナスは、鋭い目でジェニファーを見た。「和夫って、本当に気味が悪いわ」

 ジェニファーは頭を引っ込めてその視線をかわし、アイスクリームの代金を払いに行った。

 ビーナスは攻撃対象をトリッシュに移した。「台所で和夫の気を散らしてあげたんだから、あなた、大きな借りができたわよ。簡単そうだと思ったけど、大間違いだったわ」

 トリッシュは身がすくんだ。確かに、借りができた。できることなら男性と話したくないビーナス――和夫はきっと、彼女を発狂させたのだろう。「気味が悪いってことはない。情熱的なの」

 ビーナスのきれいに整えた眉が吊り上がった。「情熱的な変人ね」

 二つめか三つめの冷凍庫のドアのところで冷たい飲み物を見ていた女性が、変な顔でこちらの方を向いた。

「小さい声で話してくれる?」トリッシュはささやいて、その女性に軽く微笑んだ。

 アイスクリームの代金を払ったジェニファーが戻ってきた。業務用冷凍庫のドアに備えつけられた容器から、プラスチックのスプーンをつかんだ。「彼ってちょっと、ロード・オブ・ザ・リングのヴィゴ・モーテンセンみたいだよね。筋肉質で陰気だけど、詩人なの」

 ふむ、いいたとえだ。セクシーだけど芸術的――マントを着て剣を持つ和夫を想像することができた。

(彼のことを考えるのはやめるのよ、このバカ)

 ビーナスが鼻先で笑った。「中東だったらまだしも、シリコンバレーじゃダメね」

「ええっ、どうしてよ」レックスはゴツゴツした肘で、ビーナスの胸を突っついた。「ちょっとはキュートだって思ったでしょ?」

 ビーナスは、電子レンジがなくてもレックスのナチョスにのっているチーズが溶けそうなほど、にらんだ。「彼が描いた絵の話をしてみたら? 全く話が通じないわよ」

 トリッシュは、これに反論することができなかった。「彼ってとても……霊的なの」事実、彼は自分の芸術を崇拝していた。和夫が絵の前で怒り狂いながら、ミューズにひらめきを与えて欲しいと懇願している間、部屋の隅で縮こまっていた自分を思い出した。彼のミューズはトリッシュのはずなのだから、何とも筋の通らない話だ。とにかく、和夫が不可解であることは、いたって明白なことだった。

「でもさ、何で早く帰らなきゃいけなかったの?」レックスはコーンチップを噛んだ。

 頭の中で言葉が鳴り響いているのだが、トリッシュはその言葉を口にすることができなかった。言わなければ真実にならないかのように。「スイフティマートの中では言えないの。行きましょう――」

 ジェニファーは、パイントサイズのアイスクリームをこじ開けようとして、口でスプーンをくわえた。「ムーフンシュー?」(スプーンをくわえているため、きちんと発音できない)

「は?」

 ジェニファーはスプーンを口から出した。「あのアリスっていう女の人のこと? ビーナス、食べる?」ビーナスにアイスクリームを差し出した。

「要らない。ダイエット中なの。アリス? あなたのお母さんと一緒にいた人?」ビーナスは腕を組んだ。「台所でおばあちゃんにも紹介してたわ。あんたの気味悪い元カレをかわしてる間に」

 トリッシュは、ベタベタしたアイスクリームをにらんだ。「和夫の気をそらせようなんてこと、しない方がよかったのかも」

 ビーナスがうんざりした声で言った。「何を今さら――」

「何のこと?」チップスがレックスの口から飛び出した。「お尻に火がついたみたいに走ったくせに」

「おばあちゃんか和夫に見つかる方がマシだったわ」鍋からこぼれ出そうなラーメンの汁のように、怒りがわき起こった。「私の人生って、何でこんなに複雑なの?」

 ビーナスは呆れた顔をした。「和夫と向き合うのがそんなに複雑? ピシッと言えばいいだけでしょ」

 トリッシュは苛立った。「おばあちゃんが怒るわ」

「だから何?」ビーナスは肩をすくめた。

 トリッシュは叫びたくなった。「あなたとレックスって、何でそんなにおばあちゃんを怒らせたいの?」

「おばあちゃんが何考えてるのかは知らないけど、私たちの人生を左右されたくないのよ」妥協は許さないとでも言いたげに、ビーナスはかたく口を閉じた。

「それに、楽しいもん」レックスはもう一枚チップスを口に入れた。

 ジェニファーはこめかみを押さえた。「私たちに八つ当たりするのよ」

「そうそう!」(ジェン、もっと言って)

「だから、トリッシュに会わせるために和夫を連れてきたの」

「そうよ! だって、和夫から逃げ回ってなかったら、お父さんとアリスのキスシーンも見ることなかった――」トリッシュは息を呑んだ。(何ということを言ってしまったのか? ウソだ……。スイフティマートのど真ん中で。これは、悪夢だ)

 みんな凍りついた。少し離れた冷凍庫のドアにいる女性も。何も悪いことが起こっていないかのように、甲高い音楽がお店のスピーカーから流れていた。

「ウソよ」レックスはトリッシュを見つめた。

 ビーナスは、ジェニファーのスプーンをつかみ、アイスクリームのかたまりをすくった。

 ジェニファーは、アイスクリームの大きいパックをトリッシュの方に突き出した。「それ、確か?」怒っているように、長い髪の毛をいじった。息が切れている。「どこにいたの? もしかしたら、見間違いじゃ――」

「お父さん、振り向いて私を見たの」

 ジェニファーは、トリッシュの苦悩に満ちた表情をしばらく見て、それからヒビの入ったリノリウムの床に目を落とした。

 隣にいた女性が舌打ちをした。ビーナスがにらみつけると、その人は急いで出て行った。

 トリッシュは手で頭を抱えた。父の顔、アリスの顔が浮かんだ。大きな太鼓の音のように心臓が鈍い音を立てて、ドンッと落ちた気がした。

「どうするつもり?」

 トリッシュは、そうささやいたのが誰だったのか、分からなかった。目の前の暗闇の中で、煙が渦を巻いていた。大火事になりそうだった。爆発と言った方がよいだろうか。

 ビーナスは咳払いをした。「スイフティマートでそれを決めるのは無理でしょ。行こう」

 

 ビーナスの家から両親の家までの運転中、トリッシュは緊張しすぎて、二回ほど事故に遭いそうになった。少なくとも、他の車との事故ではない――いずれにしても、高速の中央分離帯にぶつかるのは体に悪いだろう。



 私道に停まっていたのは母のトヨタ・アバロンだけで、父のハイランダーはなかった。トリッシュは、父が帰っていないことについて、喜ぶべきか、怒るべきか、決めかねた。父はどこにいるのだろう? 父がいないことについて怒りを感じないよう努力した――少なくとも、母と二人だけで話をすることができる。



 家の中に入ったトリッシュは、職場で無菌室に入る時のように準備を整えた。ティッシュは? 持ってる。お水は? 持ってる。何かが飛んできたときのために枕は? 持ってる。

 寝室のドアをノックした。「お母さん?」

 これほど間違っていることはなかった。娘は普通、母親にこんなことを言うものではない。しかしトリッシュは、母自身がこのことを知った後で、トリッシュが彼女に黙っていたことを知ったら、第三次世界大戦の勃発は避けられないことが分かっていた。

 陶器の人形のような割れ物の被害が少ないだろうという理由ではなく、少なくとも母は、トリッシュに対して怒ることはないだろう。

 母は、ベッドに座って本を読んでいた。メガネ越しに、トリッシュにまばたきした。「ああ、スイーティ。どうして来たの? アパートに帰ったと思ってたわ」母は、明るくなった。「今晩は泊まってくの?」

「違うの」ベッドの脇に置いてあるテーブルの上――グラスの中にはこぼれそうなほどお水が入っている。カーペットにこぼれたら、かなりの量だ。トリッシュはさっと前に進んで、グラスを手に取った。「飲んでいい?」数秒で飲み干した。

(ゲッ)すぐにグラスを戻した。「何これ?」

「麦茶よ」

「マズい」

 母は眉を上げた。「飲んでとは頼んでないわ」

 つかんで投げられるようなものは、他にあるだろうか? 時計とランプ以外に。トリッシュはこの二つをつかみ、一メートル以上離れた床の上に置いた。「お母さん、話があるの」

「何するの? ランプがないと読めないわ」ランプの方に向かって手を上下にパタパタさせた。そうすればランプが戻ってくるかのように。

 トリッシュは鏡台の方を向き、ジュエリーやプレシャス・モーメンツ製の陶器人形をすくい集め、下着の引き出しに入れ始めた。「お母さん、聞きたくないと思うんだけど」

「人形を動かさないで。また並べないといけないじゃない」母はベッドの上で背筋を伸ばして座り、立ち上がろうとして掛け布団をどかした。

「お父さんが別の女の人とキスしてるのを見ちゃったの」

 いつも青白い母の顔にできた影が白くなり、母はゴクリとツバを飲み込んだ。枕にもたれかかり、息が激しくなり、手で喉を押さえている。「それ、今晩のこと?」か細い声になった。

 何? ちょっと不自然だ。普通だったら、母はこの時点で壁に変化球を投げるはず。トリッシュはうなずき、そして、母の口がまだ開いていることに気がついた。そして、その口はピシッと閉じられた。

 母は肩を落とした。体を丸め、顔をそむけた。

「お母さん?」思わず「大丈夫?」と聞きそうになったが、そんなことを聞くのはかなり間が抜けている。

「私……あなたの……お父さん……」トリッシュは、母の言っている言葉がほとんど分からなかった。

「ああ、お母さん」トリッシュは母の指についているコスチュームリングを一つつかんだ。安い金属製のリングが曲がった。「大丈夫?――お母さん!」

 母は前のめりになり、気を失った。

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※少しでも物語を楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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