宗教ではなく、イエス様に出会う

子どもの頃の私は、仏教が身近な環境で育ちました。今日は、そんな私がイエス様と出会い、新しい希望を見つけた体験をお話ししたいと思います。

私は仏教の家庭で育ちました。毎週祖母と本願寺に行き、祖父のために花を供えました。お坊さんはとても親切で、仏教はとても良い宗教だと思っていました。

大きくなってキリスト教のことを知るようになりましたが、私の心の中で、その知識は何の意味もありませんでした。そして中学生のとき、ひどいうつ病にかかったのです。

イエス・キリストが私の罪のために死んでくださったことに気づいたのは、そのときでした。私のありとあらゆる行いは赦されることが可能で、もっと重要なのは、新しいスタートを切るチャンスをイエス様が与えてくださることでした。過去の私に縛られることなく、私の人生は新しくされ、前に進んでいけるのです。

私の人生の中で初めて、神様の力を経験しました。宗教は、もはや盲目に従うものではなくなりました。イエス様が私の人生の中で実在されるという個人的な証拠を得たからです。

ですが、毎週祖母と本願寺へ行くのは止めませんでした。お坊さんたちはまだ私に親切でした。ただ、私は彼らが信じていることをもはや信じていませんでした。

イエス様の時代、パリサイ人は聖書をよく知る宗教指導者でした。私も、自分が慣れ親しんだ宗教から離れることは簡単ではありませんでした。だからこそ、パリサイ人がイエス様を受け入れることの難しさも、少し理解できる気がします。彼らもまた、自分たちが長年信じてきたものに深く慣れ親しんでいたからではないでしょうか。

ニネベの人々と南の女王(シェバの女王)は異邦人(ユダヤ人ではない者)でしたが、神様を信じるようになりました。しかしユダヤ人であるパリサイ人は、イエス様の奇跡を見、教えを聞いたにもかかわらず、信じませんでした。だからイエス様はその頑固でかたくなな心を指摘したのです。彼らはイエス様の権力に反論することまで言い、これは神の聖霊にたてつくのと同じことでした。

イエス様は、ユダヤ人ではなくても、ご自分を信じて従う者は家族の一員であり、ご自分のものであると言われます。私も一時、自分がそこで育った仏教という宗教に慣れていたので、パリサイ人のようにイエス様を信じたくないと思ったときがありました。しかし、イエス様はご自分が実在し、私を愛しておられることを示してくださったので、私も今は彼の家族の一員です。

これまであなたがしがみついてきたことは、もしかしたら今は必要なものではないのかもしれません。あなたが求めれば、イエス様はあなたに会い、助けを差し伸べてくださいます。


マタイ十二:二二~五十

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