【ひとり寿司】第25章

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第25章


「ミミに聞いてみよう」

「ええっ?」ベッドに横になりながら、レックスは痛む背中の後ろに置いてある枕を動かす手を止めた。「冗談だよね?」

ビーナスは携帯を出した。「あの子、何年か前に車の事故に遭った時の傷痕、全然ないよね。火傷がひどかったじゃない、あの時。あなたの水膨れをどうしたらいいか、聞いてみよう」

あのいとことは、クラスタシアン・レストランでゲス野郎のジョージを盗まれて以来、会ってなかった。

「だけど、ミミよ。あなたも好きじゃないと思ったけど」

「他にいい考え、ある?」

レックスはまたCPMマシーンを始動させ、徐々にひいてきた水膨れから波のように打ち寄せる痛みのために、顔をしかめた。「ないかもね」

ビーナスは電話をかけた。初めは少しとげとげしい話し方だったが、うまくいった。「ミミ、これから来るって」

「どうせ、私がひどい状態なのを見て、ほくそ笑むために来るんでしょ。期待しないことにする」

「スープを温めるわ。あなた、三日も食べてないでしょ」

レックスは枕にもたれた。CPMマシーンは左足ではなく、右足だけを動かしている——だから、仕事のために悪くなった脊椎の下の方がさらにひどくなった。

携帯が鳴った。「リチャード、何の用?」

「お気に入りのお兄さんに向かって、その言い方はないだろ」

「切るから——」

「待った、待った。行ってもいいか?」

警笛が鳴った。「何で? 病人のうちなんて来たことないでしょ」

「実は、友達と——」

「友達って? リチャード、私ね、手術したのよ」体を伸ばして、背中の痛みを和らげようとした。

「大丈夫か? 出血は?」

「三日間ゲロってる」

「ああ」間が空いた。「だけど、やっぱり連れていってもいいか?」

レックスは電話をパチっと閉じた。

ビーナスは、電子レンジのタッチパッドを押した。「最近、よく男を紹介してくるわね」

「そうなの。訳が分からない。多分おばあちゃんの差し金かも」

「だけど、おばあちゃんは彼の弱みを握ってないでしょ。どうしておばあちゃんの言うことを聞くのかなあ?」

「確かに」

生ぬるいチキンヌードルスープを半分食べ終わった頃に、ドアベルが鳴った。「ミミ、もう来たのかしら」もう一口、すすった。

ビーナスがドアを開けた。

背の低いアジア系の男の子が立っていた。ビーナスを見ると、礼儀正しそうな微笑みを輝かせた。ガラスのような目をしている。「やあ、ベイビー——」

「あなた、何の用?」ビーナスは手を腰に当てた。

「冷たいなあ。せめて『何かご用ですか』って言った方が——」

「もっとクリエイティブなことを考えたらどう? あなた、誰?」

「ベン・シュー」

ビーナスが肩越しにレックスをチラッと見ると、頭を横に振って肩をすくめていた。ベンは、ビーナスから目を離さない。

「悪いけど、知らないわ」ビーナスはドアを閉め始めた。

「母がここに行け、って言うから」

ビーナスは、ただ彼をにらんでいる。レックスはその顔を見てみたいと思った。

ベンの目は、またボーッとしてきた。「なんてきれいな目なんだろう——ダメ、ダメ、閉めないで——!」

ドアの向こう側から聞こえてくる彼の声は、消されて小さい。「手術したレックス・坂井さんの手伝いに来たんだけど」

ビーナスはドアをバンと開けた。「何て言った?」

「道を下りて行ったところのアパートに住んでるんだ。レックス、僕の母が君のおばあさんから聞いたんだよ。何か手伝いが要るかもしれないって」

(ええ?)「結構よ」というより、まさか。レックスは、彼の高そうな服と、レックスに話しかけている時もビーナスから目を離さないことに気がついた。

すると、また別の姿が戸口に見えた。「レックスいる?」

「ハーイ、エイデン」

ベンとは対照的に、エイデンの目はビーナスをかすめもせずに、中をのぞき込んでレックスに笑いかけた。「気分はどう?」

「エイデン、入って」ビーナスは彼の腕をつかみ、中に引っ張った。「だって、あなたたち、付き合い始めてしばらく経つもんね」

レックスとエイデンがビーナスをじっと見ると、ビーナスは、まだ戸口に立っているベンにさっと身振りで合図しながら、意味ありげにチラッとエイデンを見た。

「彼氏なの?」やっとベンは、ビーナスの顔から目を離した。

「レックスのおばあさんは、彼氏がいるなんて全然、言ってなかったけど」目が細くなった。

レックスは、全てのエネルギーを注ぎ込んで、絶望的な表情をエイデンに向けた。

エイデンはベンの方を向いた。「ああ……そうだよ。付き合ってる」アパートの中に入り、段ボール箱の間を通り抜けて、持っていた小さい花束をレックスに渡した。ベンの陰険な表情が彼を追った。

レックスは笑い、歯の隙間からささやいた。「キスして」

彼は仕方なく彼女の肩に手を置いて、唇に軽くキスした。レックスは、ギクッとしないように集中した。意外と悪くなかった。彼は、石けん、モミ、ジャコウのにおいがした。

エイデンはすぐにレックスの肩から手を離したが、その低く深い声が彼女の耳に聞こえた。「君、本当にさわられるのがいやなんだね」

その言葉を聞いてリラックスした。彼がそれを分かっていて、説明する必要がないからだろうか。「男性の場合だけね」彼女は息を呑んだ。「気にしないで」

その表情を見れば、エイデンは理解していること、そして、それ以上何も言う必要がないことが分かった。

ビーナスはベンの視界をさえぎった。「ここは大丈夫だから、もう帰っていいわよ」

「でも——」

ビーナスは、また彼の目の前でドアを閉めた。

「何——」

ビーナスはレックスの言葉をさえぎり、ドアの隣の窓から外をのぞいた。「よかったわ、レックス、エイデンが来てくれて。あなたの巻き爪を全部切ってくれるわよ」ビーナスの声が小さい部屋に響き渡った。

どうやって礼儀正しく答えようかと決めかねているように、エイデンの表情は少し硬くなった。多分、(そうなの?)とか(それはおもしろいね)とでも言うつもりだろうか。

ビーナスは目を大きく開けて意味ありげに、閉じられたドアに指を突き立てた。口が無言のまま動いていたが、レックスはそれを正確に解読することができない。だが、何となく意味は分かった。(ああ)レックスは気を取り直した。「そうなのよ、エイデン、ありがとうね。この血豆をつぶしてもらいたいの」

丸い目でレックスを見たエイデンの無表情な仮面にヒビが入った。

ビーナスは、レックスの段ボール箱の一つを引っかき回し、小さいテニスラケットを取り出した——(ああ、ちょうどよかった。父親が買ってくれた殺虫ラケットをこうして使っているのを知れば、父も喜ぶだろう)

ビーナスは充電ボタンを押した。「それから、血が出てるお尻のホクロも、エイデンが突っついてくれるわ」閉じたドアの後ろで位置についた。「だけど、頭から生えてる三つめの手はプロに手術してもらった方がいいわよ」

ビーナスはドアノブを回し、薄いドアをさっと開けた。充電が終わった殺虫ラケットは、玄関前の階段に座り込んでいるベンの頭に降りた。(コン! シュッ! ポン!)焦げた髪の毛のにおいはレックスの鼻まで届いた。

「ア、ア、イイーッ!」ベンは手で頭を抱えて逃げていった。

ビーナスはカチッとドアを閉め、誇らしげにラケットを振りかざした。

レックスは手を叩いた。「あなたって、ほんと意地悪ね」

ビーナスの微笑みを見て、レックスはキャットウーマンを思い出した。「まあね」

「怪我をさせた訳じゃないから、いいのよ」

ビーナスは繊細な眉毛を上げた。「そう言うってことは、男性とその髪の毛の問題について、あまり知らないようね」

「は?」

「あなたねえ、あんな整った頭にしようと思ったら、三週間に一回はラナズかバーティゴに行ってるはずよ。ちょっとみじめな苦痛を感じさせてやっただけ」

ドアベルが鳴った。ビーナスは殺虫ラケットを充電してから、ドアを開けた。

「ハーイ、みんな」ミミはさっそうと部屋に入り、エイデンを見て、動きが止まった。∗イゼベルが恥ずかしくなるような、ゆっくりとした笑顔を向けた。「あらまあ、いらしたの? こんにちは」

レックスはうなり声をあげそうになる自分を抑えた。そして、なぜ苛立つ必要があるのだろうか、と自問した。エイデンにさわられて、まだ動揺しているのかもしれない。おしゃべりをするミミの手がエイデンをさわりまくっているのが、なぜ気になるのだろう?

「ねえエイデン、どこの理学療法クリニックにいるの?」

「クリニックとフィットネスジムが一つになってるんだけど……」

レックスは、冷たくなってしまったスープの入ったボールを見つめた。お腹はいっぱいだ。見ているだけで消化システムが変になりそう——ボールを下においた。

ビーナスは大きく咳払いをした。「ミミ」

ミミは、文章の途中で急に吸血鬼モードを抜け出した。「ああそうだった。全部持ってきたわ」そして、ウォームアップパンツをはいている足をチラッと見た。「あのさ……そのパンツ、脱いでくれる」

「僕は行った方がいいってことか」エイデンは、やすやすとミミからレックスの方に向きを変えた。「君が元気か見に来ただけだから」

「ありがとうね。それに……ベンのことも」

「どういたしまして」出ていった。

ミミは、長く低い息を吐いた。「なんてセクシーなの。オーランド・ブルームよりかっこいいじゃない」

「私の周りにいる男をみんな盗むって、どういうこと?」

ミミはレックスにウインクした。「それって、キンムンのこと?」

「ジョージ。クラスタシアンで。あの時は、自分のデート相手もいたわよね」

「あーあ」ミミは笑いを抑えた。

「あの時はごめんね。だけど、彼が誘ってきたから、会わないといけなくて。ショアラインまでドライブして、その後、彼の車を盗んでそこに置き去りにしたの。私の友達にひどいことをしたから、復讐よ」

レックスがビーナスを見ると、彼女も同じように口を大きく開けていた。「嘘でしょ」

「分かった? 正当な理由があったのよ。あなた、彼と一緒にいても楽しくなさそうだったし。レストランの向こう側から見てても分かったわ」

レックスは咳払いをした。それには反論することができない。

ミミは、レックスのベッドの脇にバッグを下ろした。「パンツを脱いで、包帯を剥がしてくれる? ちょっと見せて」

レックスは言われた通りにした。

水膨れを見たミミは、真剣に心を痛めているように見えた。「痛そう。分かった、じゃあ、まず足を上げ下げしてくれる? そう、そんな感じ。リンパ系から腫れと分泌物を抜かないと」

カバンの中から色々な瓶を引っ張り出し始めた。

「これは腫れと水膨れに効くの。ちょっとは痕が残るかもしれないけど、ほとんどよくなると思うわ」レックスのベッドにドスンと座った。

その真剣な目——いつもレックスが見るミミの目とは大違いだ。涙が出てきた。「どうしてこんなこと、してくれるの?」

ミミは足をチラッと見てから、レックスに目を戻して肩をすくめた。「あなたって、いつも自分が得意なことが分かってる——フィットネスとバレーボール。ビーナスから電話があった時……」手に持っているボトルをひねった。「これはね、私が得意なことなの。それに……」いつものミミらしい目でレックスを見た。「これで私に借りができたわよ」

それを理解するのには、時間がかかった——この若いいとこに対する見方は固定観念になっていて、揺るがすのは難しいが、それが少し揺るいだ気がした——エイデンに見せた魅惑的な行動にもかかわらず——ミミの言葉から、何か正直なものが見えた。

「ありがとうね、ミミ」

「じゃあ、始めよう」

**********


「エイデンに電話するわ」ビーナスはアパートに入り、食料品が入ったバッグを床に投げた。

レックスは、ビーナスのコスモポリタン誌から目を上げた。「どうして?」

「ベンが外でコソコソしてるのを見たの。エイデンがあなたのボーイフレンドだ、ってことをまだ疑ってるんだと思う」

「うわー、何でかな。実際、彼氏じゃないしね」

「だけど、近づかないでもらいたいんだったら、ベンを納得させないとダメよ」

「ドアベルに出なきゃいいじゃない」

「私、男の気持ちを読むのは得意なの。特に、ああやって侵略的なやり方をする時はね。あいつは信用できない」ビーナスは番号を押した。

「ちょっと、何でエイデンの番号、知ってるのよ?」

「エイデン? ビーナスよ。来てもらえる? あのベンってやつがうろうろしてて……サンキュー」電話をパチッと閉じた。「彼がくれたのよ」

レックスは顔をしかめた。「私にはくれなかったわ」

ビーナスは長い間、レックスを見つめた。レックスは、その妙に中立的な眼差しのために、少しもじもじした。ビーナスは食料品をバッグから出すために背中を向けた。「あなたのことで何か必要があれば、電話をして欲しいって言われたのよ」

「へえ、それは親切に」レックスは耳をかいた。「彼、私がACLを切ったこと、まだ気にしてると思う?」

ビーナスはわざと返事をせず、フルーツを冷蔵庫に押し込んだ。

レックスはメールをチェックした。ダイアルアップしかなかったので、昔の家のケーブルモデムより三倍長くかかった。理学療法についてのいい情報がないか、友達に聞いていたのだが、その返事がいくつか届いていた。

「その名前、何か聞き覚えがある気がする」

「はあ?」ビーナスは、エンターテインメント・ウィークリー誌から目を離そうともしない。

「私の保険って、二つの理学療法クリニックのどちらかに行かないと保険が出ないんだけど、友達はみんなゴールデンクリーク理学療法クリニックに行け、って言うの」レックスはホームページを見ようとしたが、ダイアルアップが遅すぎる。「その名前、聞いたことあるんだけど、どこでだったか思い出せない」

「知ってるわよ」

「そうなの?」

ビーナスはうなずいて、ページをめくった。

「それで、教えてくれないの?」

「教えない」

「どうしてよ?」

「あんたの脳みそを拷問にかける方が楽しいもん」

「ドアベルが鳴った」ビーナスは飛び上がり、あの殺虫ラケットをつかんで、ドアを開けた。

「ああ、ハーイ、エイデン。来てくれてありがとう」

「どういたしまして。ハーイ、レックス」

「ハーイ」

エイデンは段ボール箱の間に割り込み、本が一杯入った箱に座った。「ところで、ここに来る途中でベンに会ったよ」

「ナイス」ビーナスは雑誌を取って、レックスのベッドに戻した。「しばらく、ここにいてもらえない?」

「もちろん」

レックスはコンピュータのディスプレイを見つめた。まだ読み込み中だ。「ちょっと待って……エイデン、あなた理学療法士だった?」

「そうだけど」

恐ろしい疑いに襲われた。「どこで働いてる?」

「ゴールデンクリーク」

レックスの肩が垂れ下がった。「うそ」

エイデンは中立的な顔を保っていたが、何故か反応が過敏だ。「何だよ、いいクリニックだよ」

「違うって、実は——」

「それに、近いし……ああ、分かった。君の保険が使えるってこと?」

「そうなの」なぜか、エイデンが自分のセラピスト(PT)になるのは変な気がした。

「故意に君のACLを切ったわけじゃないんだよ」

「分かってるけど——」

「君を治療台にのせて、左足のACLを切るつもりもない」

「そう……よね」

エイデンの顔に不満が見えたことは一度もなかったが、レックスを押さえつけたいと思っているように見えた。「君、もうバレーボールやりたくないの?」

「そんなことないわ、絶対」

「じゃあ、何だよ? バレーボールの負傷は何十件も扱ってるし、そのほとんどはACLだ。ACLの患者はみんな僕に来るんだよ」

「全員?」

「レックス、これが僕の得意なことだからね」目の中に危険な輝きが見え、彼女は急いで言い直した。

「あなたがいいPTじゃない、っていう意味じゃないわ。ごめんね」

「僕は、選手をいいコンディションに戻すのが得意なんだ。それに、今は自分でもやってるし、怪我のこともよく分かる」

そういう人が必要なのではないだろうか? 彼女のスポーツのこと、彼女の負傷のことをよく知っている人。何故ためらわれるのか? 負傷のことで彼を責めるのは間違っているのは分かるが、これ以上、彼との時間を過ごしたくないと思っている自分がいた——どうしてなのか分からないが——その反面、彼ともっと時間を過ごしたいと思っている自分もいた。

一体何が問題なのか? レックスは無力だった。

「ゴールデンクリークでPTをするんだったら、僕が乗せてってあげるよ」

「ありがとう」レックスより早く、ビーナスが答えた。「そうしてくれると助かるわ」

レックスは彼女に向かって顔をしかめた。「あのさ、膝に手術の穴があいてるのは私よ」

「あのさ、私、仕事があるんだけど」

「ああ」首筋が赤くなってきた。「ごめん、ビーナス。そうよね」

ビーナスはエイデンの方を向いた。「本当に大丈夫?」

「もちろん」電子手帳を取り出した。「レックス、朝一番のセッションに入れるから——じゃなくて、朝のセッション二回を君にしとくから ——それが終わったら、うちまで送るよ」

「ボスに怒られるんじゃない?」

「友達だから——PT学校の同級生なんだ。問題ないよ」

エイデンは自信があるようだったので、レックスが彼を疑う理由は見つからなかった。「サンキュー」

「来週は、手術から二週間、経った週だよね?」

「うん、そんなもんね」

「予約を入れとくよ。ドクターの処方箋ある?」

お腹の中がズキズキするのを無視しようとしながら、レックスはそれを手渡した。「感謝するわ」本当にそう思った。彼が自分のセラピストになることを、何故そんなに怖がるのだろうか?

彼と、もっと時間を過ごす。彼に、もっと近づく。

馬鹿げている。怖いものなど何もなかった。いつも正面から立ち向かってきた。

彼のことは、少しも怖いと思わなかった。


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