【ひとり寿司】第6章

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第6章


「コンドミニアム探しに行かなきゃ」レックスはチャンキーモンキー・アイスを一口食べ、傷ついたオーク製のコーヒーテーブルに足を伸ばした。

トリッシュは、チェリーガルシア・アイスの隅から見上げた。「え、どうして?」

「計画変更よ」居間に置かれた、光沢のないオレンジ色とにごった茶色のソファの上に落ちてしまった一滴のアイスクリームをこすった。

「キンムンがあなたの最初の作戦だったの? 大した作戦じゃないわね」

レックスは、しばらく怒りがおさまらないだろうと思っていた。本当に、そんなに早く失恋から立ち直れるものだろうか?「幻を見てたんだと思う。それか、理想を追いかけてただけ」

トリッシュはまたアイスクリームにかぶりついた。「どうしてコンドミニアムなのよ? お金を貯めてるのは知ってたけど、プレイオフの遠征のためにそのお金が必要になるんじゃない?」

「まだ足りない、チーム全体ではね。それに、誰かスポンサーになってくれる人がいる、って信じてる。電話を折り返してくれさえすれば」レックスは、音が鳴らない電話をにらみつけた。

「大金だもんね」トリッシュはさくらんぼを引っ張って出した。

「ボーイフレンド探しも続けなきゃ」

「ボーイフレンドは要らないって。誰でもいいから、マリコの結婚式に連れて来ればいいわ」

「おばあちゃんの期待は、一回限りのデート相手じゃなくて、ボーイフレンド。あの人は、恋人同士のようなそぶりをするかどうかを調べるの」レックスは、たるんだソファのスプリングの上でお尻をずらした。

「誰を連れてったって、おばあちゃんはその彼のことで何か文句を言うに決まってる。でしょ?」

「どういう意味? 私が恋愛してるってだけで興奮するわ。きっとその彼を好きになる」

「賭ける? マリコの時と同じよ。背が低い、背が高い、痩せ過ぎ、太り過ぎ、日本人じゃない、中国人じゃない、ってね。マリコはいつもやり込まれてた」

「まあ、マリコの場合は可哀想なぐらいどうしようもないデート相手だったもんね」

「おばあちゃんが一つも文句を言わなかったから、あの、なんとかって人と結婚するだけだと思うわ」

「私の彼氏のことをおばあちゃんがどう思うかなんて、大体どうして気にするの? おやすみのキスをするのは、おばあちゃんじゃないんだから」喉が詰まった。アイスクリームを飲み込むことができない。

トリッシュが、さっと用心深そうな目を向けた。「あなた、大丈夫なの——?」

「大丈夫」レックスは口についたアイスクリームを拭いた。

二人はしばらく黙って食べていたが、レックスは苛立って、コーヒーテーブルを蹴った。

「おばあちゃんが考えてることが、どうしてこんなに気になるのかな? 私たちってほんと、どうしようもないわ」

トリッシュはまだ食べている。「恐怖に洗脳されてるのよ」

「そうそう、自分が正しいって分かってるのに、反対できない。私たちって、どうしてこんなに臆病なのかな」レックスはもう一口、口に入れた。「あの人は四一キロしかないのよ。私たちだったらやっつけられるわ」

トリッシュはレックスの冗談を無視した。「四一キロより重いわよ」

「どういう意味? だってあの人は——」

「違う、本当に四一キロより重いの」

「ああ、そうか」レックスはアイスクリームを置き、鳴りそうで鳴らない電話を見つめた。「大丈夫、四ヶ月あるわ。いい人がきっと見つかるはず」

「結婚式の後でその彼を捨てたって、その頃までには新しいスポンサーが見つかるわよ、きっと」トリッシュはレックスの前でスプーンを揺らした。「どうしてそんなにイライラしてるの? バレーボールの知り合いか誰かにしとけばいいじゃない」

「分からない」レックスは腕を組み、ソファで丸くなった。「こういうことを強要されるのは大嫌いなの」

トリッシュは食べている途中で止まった。「まだ心の準備ができてないとか?」

「もちろん、できてるわ。カラスみたいに突っつかれるのが嫌なだけ。どうせだったら、自分のやり方でやるわ」

「どこが違うのよ。どっちにしろ、おばちゃんの要求通りになるのよ」

「私の人生をコントロールするのは私、おばあちゃんじゃない。マリコみたいに、トミオとかダイキとかハルオとか、日本人男性だったら誰でもいいからデートするなんてことはしない。デートをする心構えはできてるけど、私はバカじゃないの。私と出かける男性は、私の基準に合格しなきゃ」

「基準って、どうするつもり? 競走馬みたいに歯を見せてください、って頼むの? それか、財布の中身? ちょっとシャツを上げてくださいとか? 頭の後ろがハゲてませんかとか? それで、検査に合格しましたって?」

「バカ」レックスはトリッシュに枕を投げた。「違うわ。今ね、女性の聖書勉強会で、『エペソ人への手紙』を読んでるの。信仰のある男性の特徴がたくさんあって、私も自分のリストを作ってるのよ」

トリッシュは声を上げて笑った。「リスト? 『エペソ』のリスト? 千メートルぐらい長いリストなんでしょうね」

「違う、六つだけよ」

「六つだけ? 分かった。心拍数? 合格。字が読める? 合格。私が歩いている地面を拝む——」

「やめて、いいリストなのよ」指の上にチェックマークをつけた。「一つめ、バレーボールがとても、本当にとても上手じゃなきゃいけない」

「そんな人、たくさんいるじゃない。それが「『エペソ』に?」

「だって、私はその人に『服従』しなきゃいけないのよ——知ってる?『妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい』って——バレーボールで私に勝てない人には服従しないわ。二つめ、身体的な魅力があること。完全な『一致』っていう問題よ。その人と実際に『一つ』になりたい、って思えなきゃいけないの」

トリッシュは思わず噴き出した。

「ちょっと、汚いじゃない! アイスクリームがいっぱい飛んでるわ」

「ごめん」トリッシュは口を覆った。

「三つめ、クリスチャンであること」

「それが三つめ? 優先度はあまり高くないのね、ふーん」トリッシュは、レックスのあばら骨のあたりをつついた。

「あの……別に優先度の順じゃないんだけどね。四つめ、安定した、いい仕事を持ってること」

「金持ちじゃなきゃダメだって、使徒のパウロさんはどこで言ってたっけ?」

「お金持ちってことじゃないの。だけど、「『エペソ人への手紙』では、男性は自分の体を大事にするのと同じぐらい妻を愛するべきだ、って書いてあるでしょ。ってことは、私のボーイフレンド——つまり将来の夫——は、私を養うのに十分なお金を持っているべきでしょ? 五つめ、誠実であること。浮気や不倫なんていうのは、絶対ダメ」

「それも「『エペソ』? 私ももっと聖書を読まなきゃ」

「六つめ、私に嘘をつかないこと。『あなた方は偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい』って書いてあるでしょ?」

「彼が嘘をついてるかどうか、どうすれば分かるの?」

「うーん」レックスは足をコーヒーテーブルから下ろした。

「そうだよね、嘘をつかないことを願うわ。どちらにしても、私を操ろうとしたり、騙そうとするのはダメ。それで、どう思う?」

トリッシュは肩をすくめた。「いいんじゃない、実行可能だと思うわよ」

「慎重になりたいだけなの、分かるでしょ?」

「もちろん、分かる」トリッシュは空になった容器を置いた。「じゃあ、コンドミニアム探しはどうなるの?」

「考えてみて。家っていうのは独立宣言みたいなものよ。だけど家族にとっては、公然とおばあちゃんに逆らうのは独立とは言えない。投資だと考えられるから、受け入れてもらえる独立なのよ」

「あーあ、なるほどね」

「宣言しなくちゃ。たとえボーイフレンドと一緒にマリコの結婚式に行ったとしても、完全に言いなりになってるわけじゃないことを、おばあちゃんに分からせないと」

「おばあちゃんはモンスターじゃないんだけどね」

「あなたはいいわよ。大事なことについて、おばあちゃんから脅されたことがないんだから」

「実際、この前の夜も親切だったしね」

「ええっ? 何のこと?」

「新しいボーイフレンドを紹介したのよ」

「で、今週の流行りは?」

「うるさい」トリッシュは舌をペロッと出して、新しい男の子のことを話すときによくするように、クスッと笑った。「先週ね、佐古寿司でランチをした時に会ったの。ウェイターなのよ。新しいお箸を持ってきてくれてさ」トリッシュは頬にえくぼを作った。「そんで、おばあちゃんには日本語で話すの」

「すごい!」トリッシュにハイタッチをした。「おばちゃんが気に入るはずね」

「言っとくけど、おばあちゃんには気に入られた方が便利よ。ボーイフレンドを見つけなさい」

「そうね、明日から会社で行動開始よ。同僚が、誰か知ってるかもしれないし」

**********


 朝、レックスは勤務先であるハイテク製造会社のドアを開けた。ゴルゴンのような恐ろしい顔の女とインターンが怒鳴り合っている声が、耳に心地よく響く。

「あなたが散らかしたんだから、あなたが片付けるのよ!」事務員の怒鳴り声が、ロビーから廊下を通って部長のオフィスまで響いている。

「家族の集まりがあったんです!」新しく雇われたインターンのキャリーは、頭を横に振る理由がたくさんあるようだ。

レックスがガラスのドアを通って中に入る音も、その口論を止められない。

その中年の女性社員は、空調が利いたその場が凍るほど冷たくなりそうな目を、利口なインターンに向けた。「ソーダを缶ごとこぼしたのよ。せめてペーパータオルだけでも持ってくるべきでしょ!」

「誰かに押されたんです。私のせいじゃないわ!」

「関係ない! おとなしく責任を取れないんだったら、金曜午後の会社のパーティには来ないでくれる?」

キャリーのブルーとパープルのグリッターがついたアイメークが、蛍光色の天井照明でキラッと光った。「オバサンから会社のパーティに来るな、って言われる理由はないわ」

(その調子、ゴルゴンをコケにするといい。他の従業員が、一日中彼女と仕事がしづらくなる)

レックスはロビーの端を通り、自分のキュービクル(個人用に仕切られた仕事場)へと急いだ。独身者のたまり場をキャリーに勧めてもらうのは、今朝はやめておこう。午後だったら大丈夫だろうか。それに、あの事務員とまともな会話をするのは、今日は無理だろう。不動産屋は他の人に推薦してもらおう。

二人の同僚を通り過ぎた——ゴシップ・ツインのGTワンとGTツーと密かに呼んでいるのだが、部長のオフィスから一番離れたキュービクルで、いつものように肩を寄せ合って、ひそひそ話をしている。

「あの子、昨日呼ばれたって聞いた?」GTワンは、いつも自分の声は遠くに響かないと思っていたが、キュービクルを二つ離れた所にいるレックスには聞こえた。

「書類に印鑑を押すことで何か怒られたそうよ」自己満足で人を見下すようなGTツーの少し柔らかめの声も、しっかり聞こえている。

「サボって確認しなかったとか?」

「彼氏から電話がかかってきたせいで、気が散ったのよ」

ゴシップ・ツインは二人とも若く、社交的だった。ほんの一瞬、レックスはこの二人に男性と会える場所を聞こうかと思ったが……彼女たちがクスクス笑っている横を通り過ぎた。

自分のキュービクルに着くと、黄色いスティッキーパッド(貼る付箋)の上に走り書きされた大きい字が目に入った。「話があります~エベレット」

何だろう? CADの作業は昨日、終わっていた——予定より先に進んでいる、自分に感謝——それなのに、エベレットはどんな文句があるのだろうか?

「どうして新しい椅子が必要なんだろうか?」オフィスのドアにレックスが現れると、エベレットは何の挨拶もなく、こう言った。

「背中が悪いので、エルゴノミック・チェア(人間工学的に配慮された椅子)が必要なんです」(当たり前でしょ)

「君の椅子は問題ない。壊れてないんだろ?」ハゲ頭が光り、赤くなってきた。最高。癇癪が始まる前兆だ。

「後ろの調整ネジが外れてて——」

「だったら修理すればいいじゃないか。新しい椅子は必要ない」エベレットはそう言って、注文書を散らかったデスクの方へ投げたので、注文書は他の書類の海の中に消えてしまった。

「マークさんが私の椅子を見てくれたんですが、彼が言うには——」

「マークって一体誰だ?」エベレットが乱暴に頭を上げると、薄い髪がたなびいた。

「うちの修理部長です」

「ああ」エベレットは咳払いをした。「それで、彼は何て言った?」

「新しい椅子を買うようにと」

「じゃあ、どうして彼がホームデポ(大きなホームセンター)に行って、椅子を買ってこないんだ?」

「先週一緒に行ったんですが、合うのがありませんでした。デスクが高すぎて、私の足は短すぎるんです」

「だからって、二五○ドルの椅子が必要なのか?」

「これが一番安いエルゴノミックでした」

「特別なエルコ——エルゴック——ノミックチェアなんて必要ない」

「今の椅子は、腰が痛くなるんです」

「ナンセンスだ! それは、君がバレーボールをしてるからだろう」

もう切れた! 目の前に、梅干しのように赤いモヤがかかった。「この会社で働き始める前から何年もバレーボールをしてますけど、このデスクで、このコンピュータ用の椅子を使い始めるまで、背中の問題はなかったんですよ」

「傷害が遅れて現れただけだろう。答えは『ノー』だ」エベレットはどうにかしてデスクから注文書を見つけて——いや、見つからなかったのかもしれないが、それらしい紙を手に取り——くしゃくしゃに丸めた。

レックスは、「雪崩!」と叫んで、彼のデスクに積み上げられた書類をバサッと落としてやろうかと考えた。それともダンプカーのように、高級なレザーの椅子から彼を振り落とし、その椅子をもらって自分のキュービクルに戻ろうか。彼のコンピュータのケーブルを引き抜いて、彼が降参するまで身代金として取り上げるのもいい。

レックスは歯ぎしりし、向きを変えて拷問部屋を出た。

急いで通り過ぎていく人に、もう少しでぶつかるところだった。「ああ、ごめんなさい、アンナ……どうかした?」

アンナの赤くなった顔は、さらにくしゃくしゃになった。鼻もネオン色だ。

「またあのボス?」

「昨日はうまく行ってたの……笑って冗談を言ったりして。今朝は怒鳴られて、植木鉢を投げられた。私の仕事が手抜きだって」

レックスは目をぐるっと回し、アンナと一緒に廊下を歩いてキュービクルに戻った。彼女のボスのオフィスから遠ければ遠いほど、いい。

レックスは鼻をすするアンナに寄り添って歩いたが、彼女の肩に腕を回すのをためらった。男性よりも女性に触れる方が気まずくないけれど、体が触れるのは、まだダメだった。

アンナの腫れた目から涙が溢れた。「どうしてもあの人を理解できない。とても気分屋なの。話していても、いつ笑うのか、噛みつかれるのか、全然分からない」

「助けになって欲しいんだったら——」

「違う、仕事じゃないの。あの人と働くのが精神的な苦痛なのよ」アンナは号泣している。

レックスのデスクにはティッシュがなかったので、隣のキュービクルに手を伸ばして、そこからティッシュを引っ張った。アンナはそれを手の中でもみくちゃにし、顔をそっとたたいた。

彼女が落ち着くまで、レックスはそばにいた。アンナは鼻をかみ——音を立てて——ゴミ箱を探した。

レックスのゴミ箱はどこに行ったのだろう?

「あれ……」レックスは両側のキュービクルをのぞき込んだ。どちらの側にもゴミ箱がない。どうしたのだろうか?

アンナの手は、ティッシュの行き先を求めて動いている。

レックスは急にこみ上げてきた胆汁を飲み込み、手を差し出した。「私にちょうだい。ゴミ箱を見つけるから」かわいそうな子。頬はベタベタしているように見えたが、レックスは「体液恐怖症」をあからさまに顔に出して、今以上にアンナの気分を害することはできない。

アンナは足を引きずって出て行き、レックスはキュービクルの間をジグザグに進んでゴミ箱を探した。ゴミ箱を全部盗んだのは、一体誰?

「うっそー、やだー!」キャリーの金切り声が、銃弾スプレーのようにキュービクルの壁を貫通した。

キャリーは明らかに災難の渦中にあるようだ。これ以上、劇的なことに巻き込まれるのは避けたかったが、運悪く、キャリーのデスクはそれほど遠くなかった。デスクから飛び跳ね、手を鶏のようにバタバタさせ、口を大きく開けてさらに叫び声をあげ、ステアマスターでエクササイズ中であるかのように足を上下させていた。

ジェリーがキャリーの後に続いた。少しよろけ、顔色が悪い。「ごめん、キャリー……」

キャリーは彼を無視し、うめき声をあげながら、ピチピチのTシャツの上のベージュと薄紫の模様を、紫色のマニキュアを塗った指で払い落とそうとしている。

いや、模様ではない。肩を越えてキャリーの胸まではねているのは、嘔吐物だった。

ジェリーの。

「座ってたの! 自分のコンピュータの前で! ジェリーは立ってた! 私の後ろで! それで急にゲロったのよ!」キャリーはヒステリーを起こしていた。

レックスは片手で口を押さえた——汚れたティッシュを持っている手ではない。だが今となってはどちらでもいい。胃の中がかき回される気がしてきた。(息をしちゃダメ。見ちゃダメ)朝食べたシリアルが、今は、お腹の中に居たくないようだった。(いや、シリアルのことを考えちゃダメ!)早くトイレに行かなくては——

ジェリーは、不安定に傾いているキュービクルの壁にもたれた。「悪い、キャリー」長く、ゆっくりとしたため息をついた。「昨日の夜は、ビールを一、二杯飲んだだけ……」

突然、彼の目が大きくなった。エルマーズ・グルーで糊付けされたように鈍い顔をしている。彼は大きく緩んだ唇を押さえた。

そして、カーペットじゅうに解き放ったのだった。

キャリーの尋常ならぬ叫びに駆けつけた人たちが、一斉に「オエーッ!」という声をあげた。

レックスは声が出ない。息もほとんどできない。そして目がくらみ始めた……

ジェリーは咳をして、唾を吐いた。

レックスはトイレに猛ダッシュした。


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