【独身淑女のクリスマス】 第16章

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第16章


十二月三十日

 新しい湿布を貼っている間ずっと、寝室の壁を眺めているのに飽きたジェラルドは、マドックスが湿布をはがした後、足を伸ばしに出て行った。

 応接間は肉が詰まったミートパイのように人が溢れ、若い女性達が翌日の大晦日に開かれる夕食会用のドレスのことでおしゃべりしていた。ジェラルドはこっそり戸口を通り過ぎ、子供達の笑い声が聞こえる音楽室の方へ向かった。

 ほぼ一年中、ウィントレルホールのダンスフロアは、片側が音楽室、反対側が物置として使われており、絵が描かれた屏風で仕切られていた。部屋に入って初めて、自分がミランダに会えることを期待しているのに気付いたが、ピアノのところには家庭教師がいて、少女らがダンスのステップを習っていた。驚いたことに、教えていたのは彼の母で、足の動きや手の握り方を指導しており、笑い声とともにその顔は輝いていた。開いた戸口に息子を見つけると、微笑んだ。

「ああ良かった」母が言った。「ジェラルドが弾いてくれるから、ミス・ティールは女の子達に教えられるわね」

「僕ですか?」声が裏返ってしまったのが恥ずかしかった。「マダム、もう何年もピアノを弾いてないんですが」

「そんな完璧じゃなくていいの。ちょっと軽く弾いてくれたらいいのよ、女の子達がステップの練習ができるようにね。ゆっくり弾いてくれた方がいいわ」

 身動きが取れなくなったジェラルドは松葉杖を取り、わざとゆっくりピアノの方に向かった。近くの椅子に松葉杖を置いて、腰掛けた。家庭教師のミス・ティールは、とてもシンプルな繰り返しのメロディーを弾いていたので、それほど難しい楽譜を弾く必要はないようだった。

 ゆっくり、完全に滅茶苦茶な指使いで、荒れた海を進んで行く船のように和音を叩き始めた。しかし、四苦八苦してメロディーを二回繰り返したら、よろよろせずに指が動くようになり、ミス・ティールが弾いていた速度の半分ぐらいの速さで弾くことができるようになった。少女達がクルクルと舞い、自分達の間違いを見てクスクス笑っているのを見るのは意外と楽しかった。

 音楽室へ入るドアが開き、ミランダが見えた。その目はジェラルドの目と合い、一瞬キラリと光った後、逸れた。

 ジェラルドは、彼女と二人だけで会う時間を持てずにいた。少なくとも、勇気を奮い起こして彼女に言いたいことを言うために十分な時間を。何年もお互いのことを知っているというのに、ここまで居心地が悪く感じるのは初めてだった。

 ミランダの方も、これほど無防備になったことはなかった。その目の中には苦痛と罪悪感、不安が見えた。ジェラルドが自分の気持ちを打ち明けるのは不謹慎なように思えた。

 だから、ジェラルドは出来る限りのことをした。彼は、ミランダが望む時に彼女を慰められる存在になっていた。実際ここまで辛抱強くいられたことは、思い出せる限り、なかった。

「もうすぐ夕食前の着替えを知らせるベルが鳴るわ」ミランダが言った。「女の子達はナーサリーで夕食の準備をする時間よ」

 セシールの次女ジュリアは妹を勢い余って振り回し、その軽い笑い声が部屋の中でこだました。

 裏切られた妹のコンスタンスは姉を睨みつけた。「どうしてジュリアは大人のテーブルに行くのが許されて、私はダメなの?二歳しか違わないのに」その文句の言い方からして、今日既に何度も同じことを主張しているようだ。

「あなたのお母さんは、今晩の食卓に偶数の人数が必要なのよ」ジェラルドの母が言った。「紳士の数が淑女の数より一人多いの。だから、ジュリアに入ってもらうように、あなたのお母さんを説得したのよ」

「ずるいわ」音楽室から出て行く時、コンスタンスはミランダに不平を言った。

「ミランダ」ジェラルドの母が呼んだ。「私の伝言を受け取ってくれたかしら?どうしてフェリシティはあなたのことを忘れたのかが分からないわ」

「はい受け取りました、ミセス・フォーモント」ミランダは言った。「ご親切に、ありがとうございます」ミランダと家庭教師は、ジェラルドの方を見ずに、少女達を連れて出て行き、ジェラルドは何故かがっかりした気分になった。

「ありがとう、ジェラルド」母は彼の隣に座った。「とても素敵だったわよ」

「どうも」咳払いをした。「お母さん、ミランダのことですが……」

「そうなの、今夜のゲストの中にミランダが入ってないのが分かった時はびっくりしたわ。小さい夕食会なのに、ゲストの数がちょうど合うからミランダは出席しなくても気にしないだろうって、フェリシティが言うのよ。だけど、ミランダに失礼だと思うわ。結局のところ彼女は貧乏な親類であって、召使いじゃないんだから」

「フェリシティはそう思ってないのかもしれませんね」

「ミランダとジュリアを二人とも入れたら、全ての淑女と紳士を一人ずつ合わせられるって指摘したのよ。ジュリアにはいい練習になるわ。お披露目パーティーまでまだ一年あるけど、ジェイムズ・バーンズ坊っちゃんも今夜は出席されることだし」

「オックスフォードから来られるんですから、彼はもう坊っちゃんではありませんよ」ジェラルドは笑った。

「どちらにしても最年少のゲストよ。彼がジュリアの話し相手になれるわ。それにミランダがいれば無作法があってもうまく収めてくれる。彼女を除け者にするのは何だか居心地が悪いのよ」

 ミランダがエリーに付き添うことに対する抵抗を考えれば、このような母の親切心は予想外だった。しかし母が賛成するかどうかは、今となってはどうでもいいことに気がついた。ジェラルドはミランダとの結婚を考えているんだから。ああ、まず彼女に聞いてからの話だが……「ミランダはよく見過ごされますからね」

 母は手を見下ろし、膝の上でいじっていた。「ここ二、三日、ミランダには心を打たれてるの。とても辛抱強くあなたの世話をして、あなたと時間を過ごしてる。私より忍耐強いわ」低い声で付け加えた。

「お母さん、あなたは忍耐強いですよ。病院から戻った時に僕の世話をしてくれたんですから」

「だけど最近気が短くなってた。親切なミランダを見てると、自分が恥ずかしくなるわ」手を伸ばして彼の手を触った。「わがままだった。できる限り早く完治して欲しかったの。頑張りすぎて怪我をしないでね」

「もちろん大丈夫ですよ、お母さん」

「襲撃があって、私の期待通りに良くなってないことが分かったの。私が悪かったわ、ごめんなさいね」母は彼の手を握った。

 ベルが鳴った。

「行きましょう、お母さん。夕食の着替えをしなくては」ジェラルドは立ち上がり、痛む膝をさすりながら、顔を歪めた。「お願いですから僕を甘やかさないでくださいね」母に先んじて言った。

 母は悲しそうに笑い、「じゃあ夕食の時にね」とだけ言った。

 翌日の大晦日に開かれる豪華な夕食会と比べ、今夜の夕食はくつろいだ集まりだったが、ワインは気前よく出され、食卓の会話は明るく、生き生きとしていた。

 今回も、ミランダはジェラルドから遠く離れたテーブルの一番端、ジェームズ・バーンズの側に座り、ジュリアは彼に向かって座っていた。若い二人は活発に話を交わしていて、他の同席者には無関心のようだった。

 いっときミランダはジェラルドの目を捉えた。ジェラルドは会話のパートナーを見て、またミランダを見た。彼女は微笑み、彼と密かな楽しみを共有した。

 また緑色のドレスを着た彼女は美しかった。できればもっと彼女と時間を過ごしたい。そして、ハリエットの復讐という影を彼女の目から取り除きたい。

 今日か明日、ミランダに話そう。彼女がジェラルドのことを拒否するとは思わなかった。ミランダが拒否したら自分はどう感じるか、ということまで深く考えたくなかった。

 その時フェリシティは、女性達を連れて食堂から応接間に行こうと立ち上がった。男性陣はテーブルの周りに集まり、召使いがブランデーとシガーを出し始めた。しかしセシールは自分の妻を気遣って、男性陣がいつまでも残っていることを許さず、応接間にいる女性達に加わろうとした。

 昨日のようにマイケルは下男のふりをしており、夕食時に何とかジェラルドの父には給仕しないようにしていた。しかし今、男性達にブランデーを注いでいる。ミスター・フォーモントは全く彼に気付いていなかった。ジェラルドは知らず知らずのうちに、息を止めていた。

 ミスター・バーンズは釣りに熱心で、自宅とウィントレルホールの間を流れる川で昨日も釣りをしていた。話に夢中になりすぎて、釣った魚の説明をするために腕を動かし始めた時に、自分のグラスにワインを足そうとする若い下男にぶつかってしまった。その若い下男は後ろによろめいたが、マイケルが素早く手を伸ばしてその若者を支え、同時にデカンターが床に落ちて割れるのを防いだ。

 それは一瞬のうちに起こったのだが、マイケルの動きが何か気になったのか、ミスター・フォーモントは眉をひそめた。マイケルはすぐに控えめな召使いに戻ったのだが、ジェラルドの父は、彼が下男としての仕事に戻るのをじっと見つめていた。

「マイケルじゃないか?」ジェラルドの父は言った。

 ありがたいことに、マイケルはギクリともせず、自分の名前にも反応しなかった。

 父の右側に座っていたジェラルドはすぐさま言った。「コールトン–ジョーンズに似てますよね。今朝彼を見て、私もそう思ったので、話しかけてみました。だけど親類ではないし、遠縁でもありませんよ」

 父はリラックスして席に戻った。「少しマイケルに似ているな」

「マイケルから昨日手紙が届いたばかりですよ」ジェラルドは言った。「家族とクリスマスを楽しんでるそうです。雪合戦では若者達が容赦ないそうですけどね」

「マイケルから手紙が来たのか?」

「僕の狩猟犬に興味があるかどうか聞こうと思って、数週間前に手紙を書いたんです」ジェラルドが言った。「マイケルらしく、今週末やっと返事が来たんですよ」

 父は含み笑いをして、左側に座っていたミスター・ドライデールの方を向いた。「セシールが祖父のピストルを掘り出したことを聞いたかい?何と机の引き出しの後ろ側に落ちてたんだよ」

 ミスター・ドライデールもマイケルの方を見ているようだったが、ジェラルドの父に注意を向けた。「確かに、昨日見せてもらいましたよ。元どおりに修理するために、かなり時間がかかったでしょうね」

 男性達は食堂に長居をせず、すぐに応接間へと向かった。しかし、ミスター・ドライデールはジェラルドの肩に腕を置いた。「話がある、キャプテン・フォーモント、いいかね?」

「もちろんです」

「図書室へ行きましょうか?その方が人に聞かれずに済みますから」

 ミスター・ドライデールの外見は穏やかで愛想がよかったが、くり色の目は無表情で、ジェラルドは首の付け根の辺りが緊張感で硬くなるのを感じた。好奇心を抑え、年配のミスター・ドライデールの後をついて、松葉杖の音を立てながら図書室に向かった。

 ドアを閉じるなり、ミスター・ドライデールはジェラルドを強く壁に押し付け、前腕でジェラルドの喉を押さえた。

 ジェラルドはミスター・ドライデールと同じぐらいの背丈があったが、不意を突かれ、だらりとした操り人形のようになった。松葉杖は床で音を立てた。

「森で君と一緒にいた男だろう」ミスター・ドライデールは食いかかった。「前の日には、地元の居酒屋で行商人のふりをしているのを見た。今度は下男。そして、また君は彼と話したと言ってる。一体どんなゲームをしようとしてるんだ、キャプテン?」

「従兄弟のマイケル・コールトン–ジョーンズ大尉です」ジェラルドはこわばった声で言った。「襲撃者のことを調べるのを手伝ってくれてたんですよ。何か関係がある者だったら、僕には正直に話さないでしょうから」

 ミスター・ドライデールはその告白に当惑したようで、腕を緩めた。ジェラルドは、気管に対する圧迫がなくなったという事実にもかかわらず、まだ燃えているような首をさすった。

「彼は誰なんだ?」ミスター・ドライデールが言った。

「だから、僕の従兄弟ですって」ジェラルドは繰り返したが、ミスター・ドライデールはそのせっかちな手で彼をさえぎった。

「ただの従兄弟じゃないだろう。あのデカンターを掴んだ時まで、森にいた男と同じだってことが分からなかった。その時やっと、村の居酒屋でバーテンを喧嘩好きな客から守ってた行商人と同じ男だと気付いたんだ」

 ジェラルドは年配の彼に面と向かった。顎が動いている。「従兄弟以外の何者でもありませんよ、あいつは」

 ミスター・ドライデールは一瞬ジェラルドをじっと見つめ、その後自嘲的に中途半端な笑みを浮かべた。そのとき頬に出たえくぼのために、彼は何歳も若く見えた。「いや、君がそんなことをするはずはない。それに気付くべきだった。大陸にいる間に知り合った男か何かじゃないかと推測したんだ」

 ジェラルドは何とか平然を装った。

 ミスター・ドライデールは頭を下げた。「許してくれ、キャプテン」

 ジェラルドは堅苦しく頷いた。

「何か私で役に立つことがあれば」ミスター・ドライデールは言った。「何でも言ってくれ。ここでは話せないが、私も機密情報については多少の理解があるつもりだ」

 ジェラルドはどんな反応をしていいのか分からなかったので、ただお辞儀をしただけで、心の中は混乱していた。ミスター・ドライデールは高名な旧家の出身で、若い頃は軍務に服したことがあると誰かが言っていた。しかしこれは全く予想外の事実だった。

 ミスター・ドライデールは図書室のドアを開けたが、立ち止まって付け加えた。「ウィンウッド夫人を信頼してるんだったら、僕も信用できるよ、キャプテン」部屋を出て行った。

 ジェラルドは、夢から覚めたような気分で落ちた松葉杖を拾った。今年のクリスマスは、よく知っていると思っていた人達の奥深くに隠された部分が明かされたようだった——ウィンウッド夫人の霊的な深みと成熟度、ミスター・ドライデールがほのめかした過去、そして何より、ミランダの内なる平和と、それがジェラルドに与えた強い影響。しかし正直言って、ミランダに強く影響されたことは沢山あった——彼女の機転、ユーモアのセンス、そして、馬車に乗り込んできた日に彼女と目が合うまで気付かなかった愛らしさ。

 しかしジェラルドが応接間に入った時、ミランダはもうそこにいなかった。ナーサリーに行けば会えるが、探しに行ったりしたら彼女が気まずいだろう。

 明日。明日こそ、全てに決着をつけよう。

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