【独身淑女のクリスマス】 第12章

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第12章


十二月二十八日

 翌朝、ジェラルドがローブのままベッドでゴロゴロしていると、辛抱強いマドックスが尋ねた。「今日はスケートに行かれますか、ご主人様」

 ジェラルドは答えを戸惑った。部屋に閉じ込もりたくはないが、女性達と脇で座っているだけ、というのも嫌だった。まして、年寄りのようにそりに乗せられて氷の上を滑るなんて、とんでもない。スケートが出来るほど凍ったあの湖までの馬車も、押し合いへし合いに違いない。

 ドアを叩く音がして、マドックスがドアを開けるより早く、ミランダの声がした。「また下品なことをおっしゃってる?それとも、すねて動くのを拒否されてるかしら?」

「そのどちらでもない、薄情者!」ジェラルドは開いたドアに向かって叫んだ。

「湿布をもう一つ持ってきたわ」声だけが返ってきた。

「また僕の足を凍らせるつもり?」

「今度は温かい湿布よ」

 ジェラルドはドアを睨みつけ、そしてマドックスに頷いた。ミランダから布袋を受け取った従者は、思わず身震いした。なぜ体から十分離すようにして持っていたのか、マドックスがベッドの近くまで来た時に、ジェラルドは気が付いた。布の中からは湯気が立っていて、その中には、茹でたカブにピリッとするハーブを混ぜたような臭いがするマッシュポテト状の塊が入っていた。

「前のよりもっとひどい臭いだ」ジェラルドは言った。

 戸口の方から声がした。「マドックスが誤って体にこぼしても礼儀を忘れないでね、キャプテン・フォーモント。もっと長い間、香りを楽しむことができるわよ」

 マドックスの唇の端がピクピク動いたが、顔は無表情なままだった。「いかがですか、ご主人様」

 ズボンをはいている足を上げて、靴下を脱いだ。しかし、マドックスが膝にそのマッシュをのせている時、ミランダが寝室を覗き込んでいるのを見つけた。「ミランダ!」

 しかしミランダは、彼の素足を見ても非常に冷静だった。「マドックス、もっと足の筋肉の方へ動かして」その冷静な表情にジェラルドは慰められた。ただ大騒ぎされないことが、何故だか彼にとってはありがたかった。

 突然戸口で何か動きがあり、ミランダの頭が消えて、母の声がした。「ミランダ、あなた——まあ何てこと!」母は開いた戸口で立ち止まり、まずベッドのジェラルド、そして部屋のすぐ外にいるミランダを見た。

 ジェラルドは固まった。従者がいるとは言え、こういうことは極めて異例だ。

 母はまだ湯気が出ている湿布を見てから、聞こえるように息を吐いた。さっと部屋に入り、すぐジェラルドのベッドの向こう側にある椅子に座った。「どうぞ続けて、マドックス」

 マドックスは、まだムカつくような臭いがしているマッシュでジェラルドの膝を包み終えた。あまりに強い臭いのために鼻毛が焼かれるようだったが、正直言って痛みはかなり治まった。

 「なんてこと、ネズミが足の上で死んでるような臭いだわ」母が言った。

「どうも、お母さん」

「それでジェラルド」まるで若い未婚の女性が寝室の外に立っていないかのように、母は言った。「今日のスケートに参加したらどうなの?」

 すすんで試練を受ける気はないが、母の言い方から察して、スケートに行った方がいいような気がした。そして突然、ここ二日ほど思案していた計画を実行するために、このスケートという行事を利用するアイディアが浮かんだ。「お母さんは行かれるつもりですか?」ジェラルドは母に尋ねた。

「スケートはしないけど、あなたが良ければ一緒に座ってもいいわよ。あなたもそりに乗ればいいわ。セシールがそりを二つ持ってくるはずだから」

「ミセス・フォーモントは、ミスター・フォーモントとそりに乗られた方がいいんじゃありません?」ミランダが戸口から声をかけた。もちろんミランダらしく、他の人と同じようなことはしない。全部は聞こえていないようなふりをした。

 母はミランダを無視しようとした。「あなたと一緒に座ってもいいのよ、特に今は……」

 胸が重くなった。大人として、両親、特に母の重荷になるべきではない。それなのに、少し自由がきくようになってきたと思った矢先に、襲撃によって一ヶ月前と同じ状態に逆戻りしてしまった。

「ジェラルドなら一緒に座ってくれる友達はいくらでもいると思いますよ。ミス・チャーチプラットンとか?」ミランダは中を覗き込んだ。ジェラルドに向けた表情は完全に非の打ちどころがなかったが、彼はその緑色の目がいたずらっぽく光るのを見逃さなかった。

「バカバカしい」母は言った。「ドアと会話をするなんて、まっぴら。ミランダ、中に入ってらっしゃい。マドックス、あなた、まだ終わらないの?」

「終わりました、奥様」従者がジェラルドの足をタオルで丁寧に覆うと同時に、ミランダが部屋に入ってきた。昨晩エリーと一緒に来た時よりもためらいがちだったが、ジェラルドの母の隣に静かに腰掛けた。マドックスは下がり、開いたドアの隣に立った。

「楽しいことを早く終わらせてはいけませんわ、ミセス・フォーモント」ミランダは言った。「気まぐれを放っておくと、ジェラルドは傲慢になります。彼の道徳的人格を崩壊させてはいけません」

 ジェラルドはドッと笑い出した。

 母はジェラルドを驚きの目で見、そして怪訝そうにミランダの方に目をやった。

「そういうことですよ、お母さん。僕の永遠の命が脅かされるかもしれません」

「不敬なことを言わないで、ジェラルド」母が叱った。

「私が一緒に座りますわ」ミランダが言った。「癇癪持ちの息子より、ご主人と一緒に時間を過ごす方がマシですよ。他の人がそうしなくていいように、私が犠牲になってもいいですから」

 母は戸惑ったが、突然微笑んだ。しばらくぶりに、ジェラルドに対しリラックスした気持ちになっていた。「ジェラルド、お願いだからミランダの頭を噛まないでちょうだいね」

「行儀よくしますよ、約束です」

 ミランダは立ち上がった。「マドックス、あと二、三分待ってから湿布を剥がしてね。そうしたら、あなたの横暴なご主人を馬車まで運んでいいわよ」

「僕は暴君じゃない」ジェラルドが言った。

「ジェラルド、バカなことを言わないで。もちろんあなたは暴君よ」

 ジェラルドはミランダを睨んだ。

 ミランダは微笑み、ジェラルドと母にエレガントなお辞儀をして、部屋を出て行った。

 続いて母が部屋を出た。マドックスは着替えを手伝い、ジェラルドは膝がかなり良くなっていることを認めざるを得なかった。従者に伝言を託した後、ジェラルドは松葉杖で両親の馬車まで進んでいった。これに乗って、湖まで移動する。忌まわしい松葉杖がもう一人の乗客のようなものであるとはいえ、彼と一緒に馬車に乗ったのは、両親だけだったことに安堵した。

 馬車はでこぼこ道を押し進んで行った。距離は短く、湖まで出ると、太陽も雲の間から顔を出し、氷の上で明るく輝いていた。周りは深い森で、湖を更に孤立させていた。

 召使いたちは先に到着しており、スケート靴や、氷の上で遊ぶためのそりを二つ用意していた。皆が暖まって、サイダーやチョコレートを温めることができるように、近くで焚き火も始めた。

 ジェラルドは、ミランダがまだ湖に来ていないことに驚いた。子供達の多くは一台目の馬車で到着し、氷の上で走り回っているというのに。エリーもいなかった。

 北側の登り坂に取り付けられた石のベンチまで、凍った地面の上を注意深く動いた。遠くの森を見渡したが、動くものは何もなかった。仕掛けた罠があまりに目立っては、役に立たない。

 震える足でベンチに腰を下ろした途端、もう一台の馬車が到着し、エリーが飛び出してきて、スケートをする者たちの方へ向かって行った。

「エリー!」ミランダも出てきたが、ウィンウッド夫人がエリーの手を取り、スケート靴の紐を縛るのを手伝っているのが見えたので安心した。その後に続いて子供達が降りてきたので、ミランダは彼らにスケート靴を履かせるのを手伝った。

 数分後、ミランダは坂を少し登ってジェラルドの隣に座った。「素敵な日ね。膝の調子はどう?」

「少し良くなったよ」ジェラルドは一呼吸おいてから続けた。「湿布のことでまだ君に感謝してなかった。松葉杖も」

「じゃあ赦してもらえるってこと?」

「何のことで?」

「あなたの怪我の具合を見逃さなかったこと」

 ジェラルドの眉が寄り、そして緩んだ。「僕ってずっとそんなだった?」

「珍しい欠点じゃないわ。私もよく、自分の病気を認められないことがあるもの」ミランダは湖でスケートをする者たちの方へ目をやった。「海の底に沈んでるより、怪我人だったとしても、ここにあなたがいる方がいいと思ってる人は沢山いるわ」

「そうだね」ロンドンの医者からは、杖なしでは一生歩くことができないかもしれないと言われていた。感謝するべきなのは分かっている。ただ気持ちが……

「拘束されてるような気がするんでしょ?」

 喉が詰まって、話すことができなかった。

「拘束されてる気分って、よく分かるわ」ミランダは付け加えた。「でも、長くは続かないって信じなくちゃ」

「君はセシールの家に閉じ込められているように感じるの?」

 ミランダはため息をついた。「閉じ込められてるんじゃない。私を受け入れてくれたことには感謝してる、だけど……」

「そう、そのだけど、なんだよ」ジェラルドはその感覚を理解することができた。

「時々、船に乗ってる気になるの」

「君が?」

「いつもナーサリー棟でみんなが一緒。休暇はないから、一人になれるチャンスがあればそれを利用しないと」

「ミランダ、召使いだって休暇をもらえるんだよ」

「私は召使いじゃない召使いなの」

 ジェラルドはそのことについて考えた。船に乗っている間は、一人の時間を見つけるのが難しかったが、常に勤務中なわけではなかった。「僕たちのところに来れば、状況は良くなるから」ジェラルドは言った。

 しかしそう言ってすぐ、母を説得できる保証はないことに気が付いた。ウィンウッド夫人も母を揺さぶろうとしていたが、庭で襲われた後、襲撃現場に二回とも居合わせたミランダにはエリーの付き添いをさせることができないと、母は公言していた。心配しているのは理解するが、真実の解明には程遠かった。あの二回の襲撃は何か関係があるのだろうか?

「君に危害を加えたい人がいると思う?」ジェラルドは尋ねた。

 突然変わった話題に気持ちを切り替えようと、ミランダは数回瞬きした。「あの……そんな人はいないと思うわ。セシールの家族と一緒にいるようになって、もうすぐ二年になるけど、私を襲おうとする人なんていなかった。怪奇小説みたいに未解決の事故もないし」

 ジェラルドは、ミランダが持ち出した比較対象に思わず笑った。「君を無理やり結婚させようとする意地悪な叔父さんもいない?」

 ミランダは笑い、その声は後ろにある森の静けさの中でこだまして、池にいる者らの笑い声に重なった。ポールとスケートをしていたエリーは振り返りながらミランダを見て、手を振った。

 ミランダも手を振り返してから、マントをぎゅっと引っ張って体の周りに巻いた。「スケートが出来るまで気温が下がって良かった。エリーはとても楽しみにしてたから」

 その時、ジェラルドはミランダの首が見えているのに気が付いた。「スカーフは?」皆で緑樹を取りに行った時、ミランダが身に付けていたグレーのスカーフを、ジェラルドは覚えていた。エリーの額の血を止めるために、ミランダはそのスカーフを使ったのだった。

「シミがひどすぎるから」

「他には持ってないの?」ジェラルドは自分が使っていた赤と黒のスカーフを外して、ミランダの首にかけた。

「あなたのは使えないわ」

「お節介焼きのマドックスが二つくれたんだ」ジェラルドはコートの端を引っ張って、その下に巻いたもう一つのスカーフを見せた。そして、ミランダの顎の下でスカーフを結んだ。

 ミランダはジェラルドの顔を見なかったが、呼吸が止まったかのように鎮まった。近すぎて、ラベンダーと、少しレモンの香りがした。ジェラルドは必要以上の時間をかけてスカーフを巻いた後、気乗りがしないようにミランダから離れた。

 二人の間にかさばるスカーフがあったとはいえ、ミランダに触れた時、ジェラルドは安心感と同時に躍動感を感じた。クリスマスの舞踏会の夜のこと、二人のキスを思い出した。

 もう一度ミランダにキスしたかった。

 昨晩、ミランダが彼に自分のことを愛しているかと聞いた時、一瞬イエスと答えようかと思った。完全に狂っているが、完全に素晴らしいことだろう。

 しかし、理性に邪魔された。もちろん、ほんの数日でミランダを愛するようになるなんて不可能だ。幼馴染で、彼女のことを気に入っている、その程度だった。彼の不満、怒り、敵意、悲しみ、他にも数え切れないような感情が、母の道具袋に入っているもつれた絹糸のように感じられた。ロマンチックな愛などという余裕はなかった。

「はい、これでいいよ」やっとそう言って、座った。

「ありがとう、ジェラルド」

 スケートに参加した理由を自分に思い聞かせた。この場所に、湖のずっと向こう側に来るためだ。

 おとりとして。

「まあ大変」ミランダが言った。湖の上では、ポールがサリーと口論を始めていた。「ごめんなさい、ジェラルド。あの二人を離さないと。今朝も、ものすごい喧嘩をしたばかりなの」彼女が急いで行ってしまった途端、ジェラルドは少し寒くなったように感じた。

 朝の時間が過ぎていくにつれ、グループの中の他の人がジェラルドのところに座りに来た。ミス・チャーチプラットンも来て、とめどなく三十分ほど話していった。ミランダは牧師夫人であるミセス・ピーターソンと話していたが、ジェラルドは何とか彼女と目を合わせた。ミランダは彼に微笑み、その数分後にはウィンウッド夫人もやってきた。今回、ミス・チャーチプラットンはすぐ去っていた。

「あなたはラッキーね」ウィンウッド夫人が言った。「ミス・チャーチプラットンを射止めたかったら、あなたのライバルはサー・ホーラスよ」

「残念だけど我慢しますよ。誰ですか、その方は?」

 ウィンウッド夫人は、湖の近くにある焚き火のそばにいるミスター・ソル・ドライデールのところへ来た年配の男性に会釈した。「ミセス・バーンズの親戚で、うんざりするほど裕福なの。でも、もちろんあなたの方がずっとハンサムよ」

「美形っていう呪いですかね。ミスター・ドライデールに顔面パンチでも食らって鼻を折ってもらった方がいいかな?」

「私がやってあげてもいいわよ」ニヤリと笑った。「もうソルにはうんざり。サー・ホーラスは馬の鑑定が得意だって私に言うから、紹介された時、彼の馬小屋のことを聞いてみたの。五十九匹も飼ってるって知ってた?」

「それはすごい数ですね」

「そうなのよ、おまけに、サー・ホーラスったら馬の血統を一匹ずつ全部暗唱し始めたものだから、もう最悪」

 ジェラルドは笑った。

 ウィンウッド夫人は、目の前に広がる湖の方を向いた。「この景色は素晴らしいわ。天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。本当にその通りね」

「舞踏会ではモスリンを使って大きく見せるなんて話をされる方が、聖書にも精通していらっしゃるとは予想外でした」

「欠点だらけのファッションで、ユーモアのセンスも品もないからと言って、霊的な感覚がないってことはないの。モスリンが不敬虔だとは思わないけど」

「ごもっともです、奥様」

「分かる?私たちは聖人じゃないってこと、ジェラルド」ライトブラウンの目が、日光に当たって金色に変わった。ウィンウッド夫人は、ボンネットで隠された金髪の下からかろうじて見えている、こめかみにある銀色の細いシワをぼんやりと触っていた。無意識のうちに、そうしているようだった。「いつもそれを忘れなければ物事はうまく行く、そうしないと自己中心的な偽善者になるわ。だけど、主イエス・キリストの恵みによって、彼らの罪と同じように、私達の罪も赦されている」

 突然、ジェラルドは聖域に立っているような気がした。ローラの言葉は、彼の魂の中の、自分でもよく理解していなかったことに触れたようだった。「自分の罪について、あれこれ考えたい人はいないと思います」

「もちろんそうね、だけど、私は告白の祈りの意味が分かるようになったわ。魂が洗われるようだから。ウィントレルホールにいる時は、毎日正午近くにチャペルで祈るの」

「そうなんですか?知りませんでした。いつもそうでした?」

 ローラは、遠くを見るような、何か重荷を負っているような眼差しを向けた。「いいえ、ここ十年ほどね」

 岸の方からミセス・ハザウェイが躍起になって手を振っていた。

「ああ、オーガスタが戻るようにって手を振ってるわ、ジェラルド。あなたのお母さんから伝言があるってことをすっかり忘れてた。ご両親は先に出発したから、あなたは私の馬車で戻ることになってるの。何かお手伝いしましょうか?」

 立ち上がれば膝が痛むことは分かっていたが、誰かに助けられたくなかった。「大丈夫です。すぐについていきます」

「いいわ、グズグスしないでよ」しかしその場を立ち去る前にローラは言った。「ミランダのこと、まだあなたのお母さんと話してるの。確信はないけど、気が変わる可能性はあると思うわ」

 別れ際に、ジェラルドはお辞儀をした。子供達は既に氷の上から呼び戻され、皆は帰途に着いていた。子供の頃そうしていたように、ジェラルドは無意識のうちに子供の数を数えていた。二十七人。全部で二十八人ではなかっただろうか?湖に来た時、子供は何人いただろう?多分一人は家に残ったか、先に戻ったのかもしれない。

 ジェラルドは松葉杖をつかみ、重い体を持ち上げた。長い間座っていたので、すぐに千本の刃が膝に刺さっているような痛みを感じた。歯を食いしばって頭を垂れ、痛みの波が過ぎるのを待った。

 ミランダの目を見て合図をした。彼女が近づいてくるとジェラルドは尋ねた。「湖に来た子供は何人だった?」

「二十八人だけど」

「今さっき二十七人しかいなかったよ」

 ミランダはすぐに顔をしかめ、無言で唇を動かしながら、子供たちを見ていった。「あなたの言う通りだわ。ここからだと見晴らしがいいから数えやすいの」

「誰がいない?」

「ポールがいないわ、どう思う?」

 ジェラルドは子供たちの頭を見回した。ポールは明るいくり色の帽子をかぶっていたはずだ。「そうだね、ポールがいない」

「彼の居場所だったら分かると思うわ。今朝早い時間に、ポールと他の子供達が森の中で砦を作っていたの」ミランダは、身振りで並木道の方を指した。

 警戒心が体の中を走った。「僕も一緒に行こう」

 ミランダは怪訝そうに彼を見て、「お好きにどうぞ」とだけ言って森の中へ進んでいった。急いでついて行くことになったジェラルドは、ミランダが自分に反論せず、怪我を理由に特別扱いしなかったので安心した。しかしミランダのことだから、決して期待通りの返事をしないことは分かっている。

 湖が見えなくなるまで深い森の中まで入っていった時だった。二人が襲われたのは。

 男達は、予想していた方向とは異なる方向から出てきた。突然ミランダの方へ走ってきて、二フィート先まで来ているのは、庭で襲ってきた男の一人で、彼女の頭上に布袋を投げた。ミランダは悲鳴を上げたが、布が口に当たっているために声が消された。男はミランダを肩の上に放り投げた。

 ジェラルドは男の足をめがけて松葉杖を振った。男がそれにつまづいてミランダを離したので、彼女は地面に強く落とされた。

 その時、もう一人の男がジェラルドに向かって走ってきた。ナイフの刃が鈍く光るのを捉えたジェラルドは、何とか間に合って後ろに下がった。男が次にナイフを振った時の防衛策として、もう一つの松葉杖を取り、木の部分を前腕に固定するように素早く持ち直した。

 仕掛けたもう一つの罠——マイケルはどこだろう?

 しかしナイフが自分の方に向けられたので、見回している余裕がなかった。刃が松葉杖の間に入ってきた瞬間に身をよじった。ナイフは空中に飛び、男は信じられないというように空っぽの手を見つめた。ジェラルドはもう一つの松葉杖を男の鼻に叩きつけた。男は唸り声をあげて、飛ぶように後ろに下がった。

 ジェラルドが目を上げると、ちょうどミランダがもう一人の男の目に指を突っ込んでいるところで、男は悲鳴を上げて、彼女を抑えていた手を離した。ミランダは、まだ頭の上にあった袋を外そうともがいた。

 その瞬間、三人目の男が木の後ろから出てきて、ミランダの襲撃者を後ろからつかんだ。マイケルだった。

「ミランダ、走れ!」ジェラルドが言った。

 頭から袋を引っ張って、湖の方へ走った。

 しかしジェラルドの襲撃者が彼女を追おうと飛び出した。ジェラルドは松葉杖で男をつまずかせたが、男は足でそれを引っ張った。ジェラルドはよろめき、膝に痛みが走った。男とともに地面に倒れ、男は彼を蹴ったが、ジェラルドは転がってそれを避けた。

 ミランダの襲撃者はナイフを出し、マイケルに向かってそれを振った。マイケルは男を離して飛びのいた。すると、襲撃者は森の中へ走って行った。

 地面でジェラルドと格闘していた男も飛び起きて、仲間を追った。

 マイケルは彼らの後を追いかけた。

 ジェラルドは何とか自力で立ち上がった。膝がまたズキズキして、あまりの痛みのために視界が一瞬曇った後、徐々にチクチクする程度の痛みへと和らいでいった。手を伸ばして一本の松葉杖を地面からつかみ、彼らの後を追おうと急いだ。

 鹿の足跡によってできた狭い小道を、一本の松葉杖だけで通り抜けていくのは容易だったが、動きが遅すぎた。前方の木々の間で何かが動くのが見えたので、その影を追っていった。

 しかし、一本の木を回ったところで影を見失った。立ち止まって、薄暗い中を見回した。動きはない。森を守る古いオークの静けさを破るのが躊躇われるかのごとく、鳥が弱々しく鳴いた。右側のリスはネズミのような声を出した。

 すると前方にある木の後ろから影が現れて、ジェラルドに近づいてきた。

 ジェラルドは息を吐いた。「見失った?」

「悪い、ボス」

「できの悪いボディーガードだな。僕の伝言を受け取ったのか、不思議に思ってたところだ」

 ジェラルドの従兄弟であるマイケル・コールトン–ジョーンズ大尉は、泥やコケがまだらな影になっている擦り切れた服という全くみすぼらしいなりをしていた。ニヤッと笑ったハンサムな顔は、ほとんど泥で隠れていた。「ベンチの後ろから君に忍び寄ってくる可能性がある小道が全部見える木で隠れてたんだ。君に頼まれた通りにね。その木の下で子供達が砦を作り出したから妨害された。僕のせいにするなよ」

「ポール達ってことか」

「そうそう、あれこれ言いつけてたのはポールって名前だった。降りたら子供達を死ぬほど怖がらせるだろうし、あんなに大騒ぎをしてたから、襲撃者は遠回りして君の命を奪おうとしたんだろう」

「騒々しい子供達に追い込まれたって?何て恥ずかしい、マイケル」ジェラルドは冷静に言った。「子供達は襲撃者を見た?子供達を襲わなかったのか?」

「ポール以外の子は二、三分後にはいなくなったんだ。そうしたら女の叫び声が聞こえた」

「それはミランダに違いない。マイケル、あいつらは彼女が目当てだ。僕じゃない」

「それはまた違った手がかりだね」

 後ろの方から誰かがジェラルドの名前を呼んだ。

「また後で来るよ」マイケルは言った。

「違う服を探したほうがいいぞ。猟犬が吐いたみたいな格好だ」

 マイケルがすっと背筋を伸ばすと、そのみすぼらしい服についた泥が地面に落ちた。「言っとくけど、この服だから木の間に完璧に隠れることができたんだよ」

「よく子供達が君の臭いに気づかなかったね」

 マイケルの口の端が歪んだ。そして、あっという間に木の影に消えて行ってしまった。

 次の瞬間、後ろの方で静かな足音が聞こえてきた。振り向くと、木の茂みからミスター・ドライデールが走ってくるのが見えた。

「ジェラルド、怪我はないか?男二人が君たちを襲ってきたって、ミランダが」

「逃げて行きました。追いかけたんですが、見失ってしまって」

「誰かと話してなかった?」ミスター・ドライデールの黒い瞳は木を見ていたが、顔は無表情だった。

「たまたま森にいた住人と話してたんです。侵入者が多い場所にいたことについてはサー・セシールに言わないと約束したんですよ」

 ミスタ・ドライデールの眉が上がった。「なるほど、それでその住人は目撃したのか?」

「何かが動いているのは見えたけど、鹿だと思ったそうです。残念ですが、もう遠くに逃げてしまったと思います」

 ミスター・ドライデールはジェラルドに付き添ってもう一本の松葉杖を回収し、一緒に湖の方へ戻った。ほとんどの女性と子供達は、召使いとともに道具類を持って既に家に戻っており、残っていたのは数人の男性とウィンウッド夫人、ミランダ、ポールだった。襲撃の知らせを聞いた者は皆、ジェラルドの無事を確認すると、馬車で家に向かった。

 ジェラルドは、ミスター・ドライデールとウィンウッド夫人と一緒の馬車に乗り、これが屋敷に最後に戻った馬車だった。ジェラルドの父母は、入り口で彼を迎えた。ジェラルドは機先を制して「大丈夫ですよ」と言った。

「ああジェラルド、もっと早く湖から帰ってきていたらよかったのに」母が愚痴をこぼした。

「足はどうだい?」父が尋ねた。

 ハンマーで打たれているような気持ちだったが、「これまでと変わりません。濡れた服を着替えないと」と言った。

 マドックスの手助けにより部屋着に着替え、暖炉の前に腰掛けたと思ったら、ドアをノックする音に驚かされた。セシール、ミスター・ベルモア、そしてジェラルドの父がそこに立っていた。

 父とミスター・ベルモアは腰掛けたが、セシールは暖炉の前に立ったままだった。父が浮かない表情をしているので、ジェラルドは緊張した。

「何ともひどいことが起こったもんだ」ミスター・ベルモアが言った。

「必ず見つけます、安心してください」ジェラルドは言った。どうやって見つけたらいいのか見当もつかなかったが、とりあえず決意を見せれば何とかなるだろう。

「僕らは君のことを心配してるんだよ」ミスター・ベルモアが言った。

「私は全く——」

「誰かに襲撃されるようなことを君がしたんじゃないかと、僕らは心配している」セシールがはっきりと言った。

「セシール!」ミスター・ベルモアが言った。「何てことを言うんだ、襲われたばかりだというのに」

「二回もですよ」セシールは反論した。「その二人の男性は、森でうろついてた女と関係があるのか?何でジェラルドとミランダを襲うのか?他の家族には言わないが、僕らはみんなそう考えてる」

 ジェラルドはこうなると予想するべきだった。母がほんの数日前に同じようなことを言ったばかりではないか。氷に覆われた庭に立つ像のような気分だった。息をするのが苦しかった。「僕は、恥ずべきことは何もしていません。あなた方や家族を恥ずかしめることは何もありません」

「そんなことを疑ってるんじゃない」しかし、父はジェラルドと目を合わせなかった。

 像なんかじゃない。鋭い刃の破片のように砕かれた氷の塊のようだった。

 こんなことは我慢ならない。欠点はあるかもしれないが、不名誉なことは決してしていない。このような危険といかがわしい人物をベルモア邸宅に招き入れたのはジェラルドだと疑うなんて。失望のあまり思わず立ち上がり、暖炉まで足を引きずった。膝は熱を持ったボールのように痛かったが、感情は凍える吹雪のようだった。

「ジェラルド、座りなさい」父が言った。

 ジェラルドは父を無視した。襲撃者がミランダを狙っていたとは決して言えない。セシールが彼女にどんな仕打ちをするか。その代わり、ジェラルドは襲撃者を探し出し、その理由を聞き出す。自分とミランダの無実を証明するために。

 しかし、自分とベルモア家との関係が変わってしまったことにも気が付いた。暖炉の火を見つめ、自分の中で何かが萎れ、死に絶えたような感じがした。

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