【独身淑女のクリスマス】 第3章

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第3章


この十分間、ジェラルドはセシールの鼻毛ばかりを見上げていた。非常に不愉快なのだが、セシールはすぐに鼻を上に向けた。夕食が終わってすぐ後、この書斎で話をしている間、ずっとそうだ。世界中をこうやって見下ろしていて、よく首の筋を違えないものだと、ジェラルドは不思議に思った。それとも、セシールは鼻の穴が異常に大きいだけなのか。

「エレノア(=エリーのこと)がここにいてかわいそうだということは絶対にないから、安心してくれ」サー・セシールは、デスクの仰々しく大きな銀の文鎮をもてあそびながら言った。「この家にすっかり馴染んでいる。近所の者も口を揃えてそう言うぐらいだ」

 ああ、ジェラルドはやっと分かった。セシールは決して認めないだろうが、自分が養っている少女を「追い払った」ことが知られたくないんだな。しかも、続けて養うのに十分な財産を明らかに持ち合わせているのに。寛大だという評判があるわけではないが、評判が落ちるかもしれない。

「私の母の健康と幸せのために、これほど小さい犠牲を払ってもらうことに、もちろん異論はないですよね?」ジェラルドは尋ねた。

 セシールは適当な返事が思いつかず、さっと瞬きをした。

 ジェラルドの父親は、ふかふかした椅子に座っているミスター・ベルモア、エリーの祖父の方を向いた。「メアリーはいつも子供好きで、子供たちからも好かれています。いつも女の子が欲しかったんですよ」

「非常に優秀な息子の次に、ですけどね」ジェラルドはニヤッと笑って付け加えた。ミスター・ベルモアも微笑みを返したが、セシールは鼻であしらった。

「ウィントレルホールより、うちの近所の方が、エリーと同じ年頃の子供が沢山いるのも好都合だ」ジェラルドの父が言った。

 セシールの眉が下がるのを見てジェラルドは付け加えた。「よい家族ばかりですよ」

 セシールは何も言わなかった。この意見を疑問視すれば、明らかにジェラルドの父を侮辱することになると考えたのだろう。

「セシール、そのことだが、二、三ヶ月前に私の心配事について話したことがあったのを覚えているか?」ミスター・ベルモアは甥に言った。「ジョンが言っていることはもっともだ。彼のところだったら、エリーはもっと遊び友達がいる。あの娘は母親が亡くなってから寂しそうに沈んでるんだよ」ミスター・ベルモアは、手を伸ばしてジェラルドの肩をつかんだ。「だが、私の本当の心配はただ一つ、君の健康状態だ」

「私はとても丈夫ですよ。杖に惑わされないでください。あなたと取っ組み合いだってできます」

 ミスター・ベルモアは笑った。「お前の熱意を疑ってるわけじゃないが、元気な少女が足元にいても大丈夫なぐらいに回復していてもらわないと困るんだ」

「随分よくなったんですよ、そうじゃなければ、こんな計画を持ち出すはずがないでしょう」

「完全に……治ったのかい?」ミスター・ベルモアが尋ねた。

 ジェラルドはその質問の意味が分かっていた。「あと何ヶ月も、いえ何年も、この杖で歩くことになると医者には言われています。ですが、完治するのは目に見えてますから」

「何年も?」セシールは言った。「子供にどんな事故が起こるか分かったもんじゃない。杖がどれほど危ないものか」

「あの娘をクリケットのピッチに見立ててバットを振るようなことはしませんよ」ジェラルドは反論した。

「そんなことで君を攻めてるんじゃない」ミスター・ベルモアは言った。「だけどジェラルド、私の経験から言って、エリーのような年の少女は危険なほどに予測不可能だ。特に、君のように歩行が困難な者にとっては」椅子に立てかけてあった自分の杖を取り、足元で軽く叩いた。「私の痛風は良い日もあれば悪い日もあってね。エドムンドが戦死してベスとエリーが私のところに来てから、何度も思いがけないことがあった。エリーは走るのが好きで、足のようなものに向かってよく走ってくる。本人に悪気はないんだが」

 そうだ、その日の夜、ナーサリーでの夕食前に、ジェラルドはエリーがあちこち走っているのを見た。三十分後にミランダが来て秩序を回復するまで、エリーも他の子供達も、座って行儀よくしていることはなかった。

 しかし、ミスター・ベルモアの注意深い口調が気に入らなかった。ジェラルドは戦争で戦った船乗りであって、陶器の像や痛風持ちの年寄りのように扱われるのはもうたくさんだ。「大丈夫です。エリーのことは何も問題ありません。あの娘と遊ぶのが本当に楽しみです」ナーサリーのことが頭に浮かんだために、ミランダとの約束を思い出し、父親の方を向いた。「お父さん、相談する機会がありませんでしたが、ミランダも一緒に連れていけばどうでしょうか。ほんの数ヶ月間だけでも、お母さんを手伝ってエリーの世話ができると思います」

 父親は考えているようだった。「それはいい考えかもしれない。だが、お母さんを説得しないといけないよ。それに、当然セシールの許可も必要だ」と言って、セシールの方を向いた。

 セシールは不快感を示した。「ミランダのことは、私には何の関係もない」

 その口調を聞いて、ジェラルドは歯を食いしばった。

 セシールは続けた。「だがフェリシティは、十二夜が終わったらあの娘をいとこの家に送りたいと思っている。またナーサリーメイドがいなくなったものだから」

 ジェラルドは、てっきりセシールが無給の召使いを失うことに反対すると予想していたが、予想外にも妻の近縁が必要としているのであれば、恐らくこれはジェラルド一家の希望に勝ることだろう。

「セシール、お前が一番いいと思うように家族に命じるがよい」ミスター・ベルモアが言った。「エリーのことは、クリスマスの祝いが終わったらフォーモント家に行かせると決めたから」

「ありがとうございます」ジェラルドはミスター・ベルモアと握手を交わしながら、子供がいても自分の怪我が不利な影響を与えることは全くないということを見せるため、エリーの祖父が見ているところでエリーと遊ぶためにできる限りの時間を費やすことを決心した。とにかく、エリーが自分に慣れることが必要だ。さっきナーサリーで自己紹介した時も、エリーは恥ずかしがっていた。

 エリーの存在によって、自分と父をすり減らせている母の癇癪が治ることを、心底望んでいた。自分の怪我のために、両親はこれほどまでの困難に直面した。彼はただ、母を再び幸せにしたいと願うのみだった。

 みな応接間に戻っていった。ピアノを弾いているいとこもいたが、部屋の奥に置かれた家具は、何組かのカップルが踊るスペースを作るために動かされていた。

 ジェラルドは母親の近くの椅子に腰掛け、父は彼女の傍のソファに座った。

「希望がかなったよ」父が母に言った。「僕たちが帰る時はエリーも一緒だ」

 母は喜びのあまりはっと息を呑み、夫の手を取った。「素晴らしいわ、エリーが一緒に来るのね。最近家が本当に暗かったから、うれしいわ」

 ジェラルドはそっぽを向いたが、気がつけば怪我をしている方の足を見下ろしていた。少なくともエリーが来れば、母は、ここ数週間さらに腹を立てる原因になっていた介護という仕事から気が逸れるだろう。

「村の仕立屋はロンドンのマダム・ファンションほど上手じゃないけど、エリーに新しい洋服だんすが必要だわ」母は言った。「それから、ナーサリーを改装した方がいいわね。そうだ、バースにも行かなきゃ。窓にフリル付きのカーテン、新しいテーブルと椅子のセット、ベッドに新しいキャノピー。ああ、することがたくさんあるわ」先のことを考えて有頂天になっているようだった。

「お母さん、エリーの手伝いができるように、ミランダも連れていくのはどうかと思うんだけど」ジェラルドは言った。

 苛立ちが彼女の顔にこっそり戻ってきたようだった。「どうしてそんなことをしないといけないのかしら?」

「エリーはミランダにとてもなついているから、エリーのナーサリーメイドとして働いてもらえばどうかと」

「エリーはすぐ私になつくようになるわ」母は言った。「それに、ナーサリーメイドだったら村で雇うことができるでしょう」

 母が身構え、独占欲を見せたということは、エリーがなついているということを言うべきではなかった。「数週間だけ、長くても数ヶ月だけですから」

「だから、ミランダは来ない方がいいの」母は言った。「エリーがミランダを恋しいと思うのは、ここを出発する時だけよ」

「僕たちは君が楽になるようにと考えてるだけなんだよ」父は言った。

「私のことは心配しないで」母は答えた。「それからジョン、あなたがジェラルドのアイディアに賛成するってことにむしろ驚いたわ。一文無しの、しかも血の繋がっていない若い女を一つの屋根の下に?不謹慎にもほどがあるわ」

 ジェラルドの首と顎から熱気が這い上がってきた。「僕とミランダは何の心配もないよ。僕たちはお互いを知りすぎてるから」

「その説明じゃあ、私の心配は軽くならないわ」

「ミランダはどんな男にも心を奪われることはないと思うよ」ジェラルドは言った。「子供の時からずっと変わらず静かで、自制心がある娘だから」

「母さんの言う通りだ、ジェラルド」父が言った。「若い女性が一つ屋根の下というのは……」

「そんなに落ち着かないんだったら、僕はフォーモント・レイシーに引っ越してもいいんだよ」陸に上がって以来、祖母から相続した領地を見たことがなかった。「僕はすぐに元気になるから、下男が一人いれば大丈夫だし」

「だけどあそこはほんの……」母は気を取り直していった。「本当にミランダを一緒に連れて帰る必要があるのかしら。まだ納得いかないわ」

 怪我をしてから、ジェラルドは自分の将来の結婚について考えてはいなかったが、母がそんなことを考えるのを妨げるものは何もないことにやっと気がついた。特に、父の家に住む今となっては。そして明らかに母の見解では、ミランダがそこに住むことになった場合、フォーモント・レイシーの隣接農場にあるジェラルドの住まいは、心地悪すぎるほどフォーモント邸に近い。

 父の目つきから、この話題はあきらめるべきだと確信した。「お母さん、あなたを悩ませることはもう言いませんよ」

「そうね、あなたの療養期間中に十分悩んだから」母は気難しい態度で言った。

 夜のお茶が出てきたことでジェラルドは救われた。飾られた乾杯用のパンチボールも。しかし、クリスマスの飲み物が入ったカップを取りに行く途中で、フェリシティのいとこ、ミス・チャーチプラットンに待ち伏せされていた。

「どうして男性方はこんなに長く引きこもってたのかしら?」震えるような声で笑った。「私たち、捨てられたのかと思い始めてたのよ」

「残念ながら、所用があったものですから」ジェラルドは礼儀正しく答えた。

「あら大変、クリスマスの時期には働いてはだめよ」彼女が笑うと、頬にエクボが出た。「同席の方がそんなに楽しくないのかしら?」

「いかにも」彼女は夕食の席でジェラルドの隣に座ったことがあり、反対側にいる自分のパートナーとはほんの数秒話しただけで、残りの時間は、自分のことばかりをジェラルドに話していたのだ。

 それは別として、ジェラルドは彼女の笑顔を信用していなかった。明らかにミス・チャーチプラットンのことが嫌いなウィンウッド夫人から、コラナで負傷した船長との婚約を破棄したことを聞いていた。しかし、ロンドンにいる間に二回目の婚約はなく、ジェラルドは彼女の魅力の中に、敵意と絶望のかけらがあるのを感じていた。

 結婚相手として次の標的になる気はなかった。負傷の結果、将来的に女性のことを考えることすらできる状態ではなかったから。当面のニーズ、つまり杖を捨てて、両親の重荷を解くことに集中しなくては。

 臆病かもしれないが、ジェラルドは最初に心に浮かんだアイディアを単純に実行に移した。サイドテーブルでパンチを渡しているメイドから乾杯用の小さいグラスを取り、自分の杖によろめいて、飲み物をベストにこぼした。ワイン、ナツメグ、りんごの匂いが強くなってきて、熱い飲み物がシャツに染み込んでいく温かさを感じた。

「まあ大変!」ミス・チャーチプラットンは、トランプぐらいの大きさの薄いローン生地の四角いハンカチを探し出し、ジェラルドの胸元を拭き取った。

 彼女の手は、飲み物をこぼしたところより大きい部分に触っているように見え、ジェラルドは彼女の疑わしい介抱から急いで身を引いた。「ごめんなさい、ミス・チャーチプラットン。シミができる前にベストを変えないと」ジェラルドは向きを変えてその場を出た。

 無理を押して廊下をどんどん進んでいった。彼の寝室は他の棟の寝室より小さかったが、応接間には近く、書斎とダンスホールを過ぎたところにあった。じゅうたんがここで細くなっていて、杖の先端がじゅうたんではなく磨かれた木の床に触れて数インチずれたため、よろめいた。

 ゲストで満員になっている家で、セシールが余分な召使いを雇う必要がないように、ジェラルドと父は滞在中、同じ従者を使っていたが、ジェラルドはわざわざマドックスを呼ばなかった。家に戻って以来、夜会服はフレームにだらりと吊るしてあったし、乗船中は自分で身の回りのことをするのに慣れていた。上着やベスト、シャツなどは、首をすぼめるようにして容易に脱いだ。新しいシャツを着た時、マドックスが期待するほどしわが寄っていない、という訳ではなかったが。ジェラルドは、すぐ目に入ったグレーと青の縞模様入りのベストを取り出した。モーニングに合うものだったかもしれないが、首に結んだクラバットはわざとらしくなく、非の打ちどころがなかった。

 部屋から出ようとしたが、不機嫌そうな甲高い女性の声がかすかに聞こえてきた。最初はミス・チャーチプラットンの声のようだったが、どうやらフェリシティのようだ。それに答える低い男性の声——セシールだった。声は書斎のドアの方から聞こえてくる。少しだけ開けると、彼らは明らかに口論していた。

「あの子にものを頼むと二倍の時間がかかるのよ」フェリシティは言った。「そうじゃなきゃ、完全に馬鹿げたことをしでかすの。先週は家庭教師が病気だったので、エリーの教育を任せたはずだったんだけど、あの子ったら、池でスケートをさせてたのよ。算数の勉強だと言って!」

 確かではないが、ミランダのことを話しているのだと思った。いつも型にはまらない見方をする子だったから、子供の頃は愉快な遊び仲間だった。それに、どんな仕事に対しても辛抱強い。

 書斎は応接間から離れているので、誰にも聞かれないだろうが、ジェラルドの部屋は近かった。ジェラルドはできる限り早く動き始めた。怒った二人が突然嵐のように書斎から飛び出してきて、泥棒のようにコソコソ逃げていくのを見られないように。応接間までの距離は一マイルもあるような気がした。

「本当に信じられないわ」フェリシティは非難した。「わざと私を怒らせようとしてるのよ」

「わざとやってるとは考えられないな」セシールが言った。「昔からちょっと頭がおかしいところがあるから」

「どちらにしても、この家に気が狂った女がいては困るわ。いとこのポリーのところへ行ってくれると本当に嬉しいんだけど」

 ジェラルドは書斎のドアの前を通り過ぎる時、廊下の反対側に移動した。いくらフェリシティが意地悪でも、ミランダのことを気が狂った女と呼ぶのはひどすぎる。ミランダはいつもユニークで、他人にどう思われるかを気にせず、ありのままの自分に満足し、悪びれない娘だ。しかしフェリシティの心の中では、ミランダがさっさと自分の命令に従わないという事実は、気が狂った女の行為のように見えるのだろう。

 突然、杖がまた木の床に当たり、少なくとも十二インチほど、細いじゅうたんの端と壁の間に入ってしまった。今回は、先端がすぐに滑った。突然支えをなくし、膝がねじれ、鋭い痛みが足を走った。床にぶつかった時の衝撃は感じなかったが、細いじゅうたんが自分の方に向かってくるのだけが見えた。横たわりながら、激しくあえぎ、目を固く閉じた。そして、気を失わないように、膝の痛みを忘れることに集中した。ほこりとかび、そしてわずかなレモンのつや出しの匂いがした。

 モヤがかかったような痛みの中にセシールの声が割り込んでくるまで、彼はあらゆる音を遮断していたことに気がつかなかった。

「そのことだけど、ミスター・フォーモントがエリーと一緒にミランダも連れて行きたいそうだ。数ヶ月ほど手伝うためにね」

 ジェラルドはこの廊下から去らなくてはならない。誰かが来て、自分がここにいるのを見られるのは最悪だ。ましてやセシールとフェリシティが書斎から出てきて、戸口の反対側で倒れているのに気がついたらどうしよう。床を押し、良い方の膝で起き上がった。足全体が震えていた。

「絶対にダメよ」フェリシティは言った。「今年ポリーが来なかったのは、一番下の子が足を折ったからなの。またもう一人ナーサリーメイドも辞めたのよ。彼女はミランダが必要よ」

「君のいとこは、どうすれば自分のメイドが仕事を辞めないかを覚えた方が良さそうだ」

「ミランダをポリーに貸してあげるのが一番いい解決策なのよ。あの子は仕事が辞められないんだから」

 ジェラルドは立ち上がり、少しの間、壁にもたれて息を整えた。階段を走って十回昇降したかのように心臓がドキドキした。一歩進むごとに膝に痛みを感じながら、ゆっくりと応接間に向かった。

 足の痛みもさることながら、このような不当な仕打ちに対する失望の念が腸で煮え立つのを感じた。この家で、ミランダは奴隷と大して変わらない扱いを受けている。彼女がこのように虐待されるのを見るのは我慢できなかった。

 彼の唯一の目標は体が治ることだったが、良心というものも行使するべきではないのか?ミランダはセシールとフェリシティからこんな扱いを受けていていいのか?そうだ、母が考え直すようにもっと説得しないと。

 戦争に行っている間、多くの仲間、多くの友人を救うことができなかった。陸に上がった今、少なくとも幼なじみの友達一人ぐらいは救うことができるのではないか。

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