【独身淑女のクリスマス】プロローグ

『独身淑女のクリスマス』

ウィンウッド夫人のスパイ 前編
著:カミール・エリオット
日本語訳:西島美幸
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そこで、彼女は自分に語りかけられた主の名を「あなたはエル・ロイ」と呼んだ。それは、「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは」と彼女が言ったからである。

創世記十六:十三(新改訳)

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

ピリピ人への手紙四:七(新改訳)
読者の皆さんへ
神様があなたを見ておられること、あなたを深く愛してくださっていることを心から理解することができますように。


プロローグ

イングランド、ドーセットシャー
一八一〇年十二月二三日

「小姑のような人にブツブツ言われるのはうんざりだわ」ウィンウッド夫人は、自分の旅馬車の向かいの席にゆったり腰掛けている連れ合いに言った。

 その「小姑のような人」とは、実際には四十代の壮健な男性で、顔つきはいかめしいが、口の端から穏やかな微笑みを浮かべていた。顎は二十年前と同じように引き締まっていないかもしれないが、ロンドンで初めてローラ(ウィンウッド夫人)に出会った頃と変わらずハンサムで、本人もそう思っていた。

「悪口しか言えないのかい、ローラ?」ソロモン・ドライデールは物憂げに言った。

「馬車のドアを開けて、外に蹴飛ばした方がよかったかしら?」

 これに対しソル(ソロモンのこと)は、臆面もなく歯を見せてニヤッと笑い返した。

「ご自分の馬に乗ってついてくるより、私の馬車に乗りたいとおっしゃったのは、あなたよ」ローラは続けた。「だったら車軸のばねがどうのこうのとか言って、騒ぐのは止めてちょうだい。これはあなたのじゃなくって私の馬車よ」

 ソルは降参、という意味で手を上げた。「君の言う通りだ。どうか赦してください」このチャーミングな半笑いで、とても気難しい未亡人の憤りが和らげられないことは決してなかった。

 ローラは目をぐるりと回して呆れた表情をみせた。

 馬車は、でこぼこ道でまた揺さぶられた。ローラは苛立った。

 ソルはこの揺れに反応して、またうめき声をあげた。「ウィントレルホールまであとどのくらい?」そして、相手の不機嫌な顔つきを見ると、すぐさま付け加えた。「文句を言ってるんじゃないよ、これは素直な質問なんだ」

「ウィントレルホールに行ったことあるでしょ?」

「クリスマスの時期に、君のお供でサー・セシール邸に行ったのは一、二年前だよ」ソルは言った。「その道中を細かく区切ってそれぞれ何分かかったかなんていうことを覚える義務はないと思うけど」

「もうすぐセシールの領地に入るわ」ローラは言った。

「ああ助かった」ソルは豪華なベルベットの椅子に深く腰掛けた。「サー・セシール・ベルモアは道徳家を気取っているかもしれないが、自分の道をきちんと手入れするぐらいの責任感はあるだろう」

「ソロモン・ドライデールさん」ローラは呆れて言った。「彼は私のいとこだって覚えてらっしゃる?」

「勘弁してくれよ、君だって彼のことは好きじゃないくせに」

 うんざりした声で、「あなたって救い難いわね」

「君はいつから心で思っていることを僕に話せないほど無口になったのかな?」ソルは問いただした。「このガタガタいう、いや、素晴らしく飛び跳ねる馬車に乗ってるのは僕たち二人だけなんだよ」

「サー・セシールのことをあまり好きじゃないのは知ってたけど、そこまで嫌いとは知らなかったわ。だったら、ご自分の家族とこの季節を過ごされた方がましだったんじゃない?」ローラはあからさまに指摘した。

 ソルは答えなかったが、厳しい表情になった。

 ローラは彼をじっと見た。「こんな卑怯なやり方で、どれほど不愉快なことを避けようとなさったのかしら?」

 突いた棒は命中した。「捨てばちになった女の策略を避けたいと思うのが卑怯だってことはないだろう」

 ローラの眉がきっと上がった。

 ソルはため息をついた。「勝手に自分たちの選んだ人と結婚させたがる親類がいるのは君だけじゃないんだ。僕の場合は義理の妹が、姪やいとこだけじゃなくて僕にまで期待をかけるんだから」

 ローラは彼の言葉で心が締めつけられるような痛みを感じたが、笑って隠そうとした。驚くようなことではない。ソロモン・ドライデールは広大な領地を所有するれっきとした男やもめで、子爵の曾孫だ。「あなただったら小娘の裏技にひっかかりそうだものね」

「小娘なんかじゃない、彼女はもうすぐ三十だよ」

「正真正銘の小娘ね」ローラは目を細めて言った。そういう本人も気難しい四十歳なのだった。

 ソルは彼女に微笑んだだけだった。「心配することはないさ。僕が敬愛する君は、グリーンパークで初めて会った時と変わらず若いよ」

 左の頬にエクボができる、あの癖のある口で、彼はお世辞を言った。しかし、ロンドンで彼を慕う多くの未亡人の一人になるのは嫌だった。「ソル、いつから心にもないお世辞を言うようになったの?普段はそんなに私のことを褒めないわよね」

「お世辞じゃなくて、君の質問に答えているだけさ。あのミス何とかっていう女を避けるのが口実で、君やベルモアの親類とクリスマスを過ごすことに決めたってこと。僕たちの理屈は意外と似てるんだよ」

 彼の言うことは確かに正しかった。ローラの父方の親類で、いとこの嫁にあたるマチルダには、ギャンブル好きな道楽者の兄がいた。マチルダは、ローラとこのギャンブラーを交際させ、さらにはローラに彼との結婚を強いるような恥じるべき状況になることを企んでいるのか、すでに回りくどい陰謀を試みている。そういうわけで、今年は父方の親類を避け、母方の親類であるベルモア家の方を選んだというわけだ。

「マチルダのような家族がいないといいね」ソルは言った。「君の亡くなったいとこは曲がったことができるほど賢くなかったから、息子のサー・セシールも同じだろう」

「ソル、あなたって人は」ローラは彼に忠告した。「私の家族の欠点を告白させようとしてるみたいだけど、本当は彼らのことが好きなのよ」

「君の財産管理のやり方についてサー・セシールが送ってきた口やかましい手紙のことで、僕に文句を言ってなかったっけ?」ソルは言った。

 つまりサー・セシールは、ローラが自分の財産を自分で管理しているという事実を嫌っていた。ローラは彼の手紙を無視していた。ソルはこの手紙のことを笑い飛ばしたが、現在ベルモア家の家長であるサー・セシールに対する敬意は持っていなかった。

「私のいとこのエドワードは好きだったわね」ローラは彼に思い出させようとした。「彼の妹たちは、あなたと会ったお披露目パーティーの頃よりずっと落ち着いてるから大丈夫よ」今では子供や孫もいる。彼女たちの家族のことを考えるだけで、ローラは微笑まずにいられなかった。クリスマスにウィントレルホールに集まった子供たちはみな大好きだったし、ゲームや言葉遊びするのが楽しみだった。

「あれ、何でそのきれいな顔が明るくなったのかな?」ソルが尋ねた。

 ローラの答えがソルを苦しめることが分かっていたので、彼女はためらった。「クリスマスのゲームのことを考えていたのよ。子供たちとのゲーム」

 彼は笑顔を返したが、その目は笑っていなかった。「君は競争心が強いからね」

「また失礼なことをずけずけと言うってことは、やっと普段のあなたに戻ったようね」ローラは言った。

「言葉遣いには注意しないと。ご婦人を怒らせて、クリスマスが悲劇の舞台にならないように」

「あなたの言葉遣いを心配してるわけじゃないわよ」

「え、そうなの?家族に失礼なことを言ってほしくないんでしょ?」

「私にいくら失礼なことを言っても、他の人がいるところではそんなことを言わないでしょ?」

「あれ、心にもないお世辞を言ってるのはどっちかな?」

「どうでもいいけど、私を突っついて、何とか不愉快なことを言わせようとしてるわね」ローラは続けた。

 ソルはニヤッと笑った。「そういう君を見るのが楽しいからさ」

 ローラは睨みつけた。一度だけ口が滑って、アダリー夫人の帽子は毛が抜けた鶏のようだと言ってしまったことを思い出した。ローラはきっぱりとした口調で言った。「今年は楽しくて平穏無事なクリスマスでありますように」これは、ソルが変なことをしでかさないように釘を刺そうとするローラの暗黙の忠告だった。

「はいはい」ソルはニヤッと笑った。「完全に平穏無事、保証しますよ」


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